月別アーカイブ / 2018年03月

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一昨日
浜松のホテルの高層階から見た夕陽です。
子供の頃
家庭でも ときどき
炭団(たどん)を使いました。

炭団って全体が赤く燃えると
太陽にそっくりになるんですね。
時間が経つと灰になっている。

そうか 太陽も灰になるんだ
と思いました。
西に夕日が沈むとやがて灰になる。
すると
翌朝 新しい太陽を燃やして東から上げる。

一体 誰が太陽に火をつけて上げるのか
東のはてへいって確かめたくなりました。
それにしても
太陽の貯えはどのくらいあるのか
と心配になりました。

僕が生きているうちにゼロになったらどうしようか
って。

子供って自分のことしか考えないんですね。

その頃から成長しているかなあ。

感受性はどうなんだろう。



 きみは絶望したことがあるか

 年齢に関係ないから

 若くても1度ぐらいはあるかもしれない

 今までなくても

 これからの人生の中で必ず味わうぞ

 人間なら絶望と縁なく生涯を終える

 ということはあり得ない

 絶望の淵から這い上がった経験を持つ人は

 探せばきみの周りにも1人2人はいる

 その人に話を聞けば解る

 絶望した人に絶望はない

 何もないように見えて

 ポツンとはかなく灯っている希望があるだけなんだ


 若いときに絶望を味わった友の話をしよう

 彼は東北の裕福な米穀商の家に生まれた

 父が相場に手を出して

 彼が大学生のとき 財産の一切を失った

 彼には高校生の弟がいた

 元々病弱だった母親が

 その持病の1つを悪化させて亡くなった

 母親に亡くなられて

 それでなくてもナイーブで

 我が家を見舞った倒産の嵐に悲観していた弟は

 母親の死の3日後 発作的に自殺した

 そのことにドミノ倒しのように衝撃を受けたのは彼だった

 弟よりは気が強かったから

 それだけで絶望することはなかった

 卒業したら結婚を考えていた恋人がいて

 その彼女に愚痴を聞いて貰おう

 とデートの約束をしようとしたときに

 別れ話を持ち出された

 彼は絶望した

 飛び込み自殺をしようと

 住んでいた私鉄沿線を何日もさすらったが

 飛び込む寸前に恐怖に襲われた

 今日こそは飛び込もう

 とそれまでより遠くの沿線をさすらった

 沿線沿いにあるアパートの前の空き地で

 若い父親が4,5歳の男の子を肩車にしていた

 彼は立ちどまってその父子に視線を注いだ

 男の子は電車がくると歓声をあげ

 通過しおわるまで手を振り続けた

 彼は父親に肩車をして貰った記憶を重ねていた

  どうかされたんですか?

 若い父親が訊いてきた

 この声かけで 彼の思考が現実のものに戻った

  歓声をあげた肩車の子供が僕には希望に映ったんだよ・・・

 だいぶ後になって彼は僕にそう語った


 絶望に絶望がないということはね

 絶望した人間が求めているのは希望だってこと

 その人それぞれによって

 希望のかたちは違うけれど

 必ず見つけて絶望の淵から這い上がる


 でも 自殺する人がいるじゃないか

 その人の弟だって自殺しただろ

 ときみは言いたいだろ

 悲しく酷な言い方だけど

 絶望の淵で希望を見つけられず

 絶望に絶望した人が自分で命を絶っている

 その人達にどのように希望を見つけさせるかは

 これからの社会の課題だよ

 
 それはともかく

 普通は絶望の淵で希望を見いだし這い上がる

 このことを忘れないでくれ


人生には弱り目に祟り目の状況になることが

かなりたくさんあるぞ

そのとき 気を落とすな

ひねくれるな

捨てばちになるな

なぜなら

飛躍の前兆なことが多いからだ


きみが難関大学の第1志望に落ちたとしよう

これは弱り目だ

それを機に彼女に振られたとしよう

これは祟り目だ

きみは自殺も考えた

このとき きみに近づいた女の子がいる

別れた彼女と恋仲になる前

きみが憧れ でも

高嶺の花とあきらめた子じゃないか

その子はずっときみに思いを寄せていたんだ

きみは夢かと思った

第2志望の大学で

きみは生き生きと学生生活を送り始めた

確率の問題もあるんだよ

ちゃんとやってれば

人生には悪いことばかりということは

絶対ないんだ



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