月別アーカイブ / 2018年03月
絶望にはもう絶望はないないということを知っておくといい 希望を持てないという人は絶望を経験していないから 絶望して初めて本当の希望を持てる
きみは絶望したことがあるか
年齢に関係ないから
若くても1度ぐらいはあるかもしれない
今までなくても
これからの人生の中で必ず味わうぞ
人間なら絶望と縁なく生涯を終える
ということはあり得ない
絶望の淵から這い上がった経験を持つ人は
探せばきみの周りにも1人2人はいる
その人に話を聞けば解る
絶望した人に絶望はない
何もないように見えて
ポツンとはかなく灯っている希望があるだけなんだ
若いときに絶望を味わった友の話をしよう
彼は東北の裕福な米穀商の家に生まれた
父が相場に手を出して
彼が大学生のとき 財産の一切を失った
彼には高校生の弟がいた
元々病弱だった母親が
その持病の1つを悪化させて亡くなった
母親に亡くなられて
それでなくてもナイーブで
我が家を見舞った倒産の嵐に悲観していた弟は
母親の死の3日後 発作的に自殺した
そのことにドミノ倒しのように衝撃を受けたのは彼だった
弟よりは気が強かったから
それだけで絶望することはなかった
卒業したら結婚を考えていた恋人がいて
その彼女に愚痴を聞いて貰おう
とデートの約束をしようとしたときに
別れ話を持ち出された
彼は絶望した
飛び込み自殺をしようと
住んでいた私鉄沿線を何日もさすらったが
飛び込む寸前に恐怖に襲われた
今日こそは飛び込もう
とそれまでより遠くの沿線をさすらった
沿線沿いにあるアパートの前の空き地で
若い父親が4,5歳の男の子を肩車にしていた
彼は立ちどまってその父子に視線を注いだ
男の子は電車がくると歓声をあげ
通過しおわるまで手を振り続けた
彼は父親に肩車をして貰った記憶を重ねていた
どうかされたんですか?
若い父親が訊いてきた
この声かけで 彼の思考が現実のものに戻った
歓声をあげた肩車の子供が僕には希望に映ったんだよ・・・
だいぶ後になって彼は僕にそう語った
絶望に絶望がないということはね
絶望した人間が求めているのは希望だってこと
その人それぞれによって
希望のかたちは違うけれど
必ず見つけて絶望の淵から這い上がる
でも 自殺する人がいるじゃないか
その人の弟だって自殺しただろ
ときみは言いたいだろ
悲しく酷な言い方だけど
絶望の淵で希望を見つけられず
絶望に絶望した人が自分で命を絶っている
その人達にどのように希望を見つけさせるかは
これからの社会の課題だよ
それはともかく
普通は絶望の淵で希望を見いだし這い上がる
このことを忘れないでくれ
弱り目に祟り目のときは飛躍の前兆と受け取っていいのだよ そこで後ろを向いたらきみに幸せをもたらすでっかい鉱脈に背を向けたことになるんだ
人生には弱り目に祟り目の状況になることが
かなりたくさんあるぞ
そのとき 気を落とすな
ひねくれるな
捨てばちになるな
なぜなら
飛躍の前兆なことが多いからだ
きみが難関大学の第1志望に落ちたとしよう
これは弱り目だ
それを機に彼女に振られたとしよう
これは祟り目だ
きみは自殺も考えた
このとき きみに近づいた女の子がいる
別れた彼女と恋仲になる前
きみが憧れ でも
高嶺の花とあきらめた子じゃないか
その子はずっときみに思いを寄せていたんだ
きみは夢かと思った
第2志望の大学で
きみは生き生きと学生生活を送り始めた
確率の問題もあるんだよ
ちゃんとやってれば
人生には悪いことばかりということは
絶対ないんだ