月別アーカイブ / 2018年03月


 時間切れ寸前は

 人生ではダイヤモンドタイムだ

 自分が体験したケースで

 解りやすい例を挙げよう

 何かの試験で苦しんで

 どう自分で甘く考えても

 合格ラインには届かないな

 と覚悟した

 時間切れ寸前 どうでもいいやと思いながら

 答案の見直しをしたら

 ちゃんとわかっている問題の見落としがあった

 慌ててそれに解答した時点で鐘が鳴った

 
 数年後

 たまたま試験官の1人と仕事を組んだ

 僕のことを覚えていて

 1問✖が増えていたら不合格だった

 と打ち明けた


 小説雑誌の新人賞に応募時代のこと

 候補作に連続してあげられて

 次こそと自信の作品が候補作止まりだった

 腐ってもうやめようと思ったが

 応募締切間近に

 追い立ててくるような意欲に襲われ書きだした

 当時はすべて郵送で

 締め切り当日の消印があれば有効だった

 その締め切り当日

 郵便局が閉まる直前

 タクシーに乗って駆けつけ

 車内で最後の10行を書き終えた


 その作品も候補作止まりだったが

 意欲は持続して次の作品で受賞した


 そういうことはその後も2,3回あった

 時間切れ寸前は

 きみの人生を決めるダイヤモンドタイムなのだ

 意欲と執念が結実する

 ゴールデンゾーンでもある



 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや

 歎異抄で親鸞が述べている有名な言葉ですが

  初めてこの言葉と出会ったときは

 正面切って言っているのか

 比喩的な言い方なのか

 僕には解りかねたものです。

 いまだに明快に頭に響いてきますが

 その意味するところは深淵にして

 一筋縄ではいかない名言に思います。


 僕はいかなる人も善悪併せ持つという考え方です。

 それぞれの立場 環境 生き方で

 善悪の比重は微妙に変化する。

 例えば犯罪集団の中で生まれ育てば

 やはり 悪のほうに比重が大きく

 傾いてしまうのではないでしょうか。

 凶悪な犯罪を犯して

 死刑台の露と消えた人も

 100%悪の人間ではないと思うのです。

 悪のほうに大きく傾く

 生き方をせざるを得なかった

 生きる諸条件がそっちへ傾けさせた

 と思うのです。

 まじめ というのは善のほうに大きく傾いた

 状態だと理解してください。

 人の本質は普通に生まれ育てば

 善のほうに傾くようにできている

 と僕は信じています。

 だから

 自分を偽らず飾らず隠さず

 自分自身をさらけ出して生きることによって

 誰でもまじめに生きられる。

 それをまじめさの表現だ

 と僕は言い切りたい。

 
 人生はまじめが勝つ


 それを信じて

 きみには自己表現をしてほしいのです。


 

絶対そうなると思っても

 そうならなかったろう

 そのことは

 子供のときからみんな知ってる

 絶対はないからこそ

 絶対を信じて期待をかける

 それでいいんだよ

 ただ絶対をあえて信じてみる

 問題はその信じようなんだ

 今度こそ絶対だ

 それが駄目でも

 今度の今度こそ絶対だ

と信じ常に絶対に期待をかけると

 駄目になる確立を高めていくだけなんだ

 絶対教を盲信している状態だよ

 絶対そうなるぞ

 と期待して駄目だったら

 それまで以上の努力をして

 駄目だったところを

 いろんな角度から研究して

 今度こそ絶対だぞ

 はいいんだよ

 そうなるかもしれない

 駄目でも次に期待通りになる確率は

 着実に高まっている


 人生では絶対は確率の問題なんだ

 20%の確率は

 20%は絶対ということなんだ


 告白に例をとると

 駄目な奴は何度告白しても駄目だろ

 相手が変わっても

 告白の仕方は同じじゃ

 確率を下げるだけだ

 どちらかと言えばブスな子だが

 脚線美には絶大の自信を持ってる

 その子に綺麗な顔をしてると褒めて

 脚については一顧だにしなかったら

 告白がうまくいくわけがない

 そういうことだ

 人生は確率を高めていって

 ナンボの世界なんだよ

 そのことを思い知れ

 

 


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