月別アーカイブ / 2018年03月


 大卒後

 職を転々としてきたけどね

 ここで清水の舞台から飛び降りた気になりゃ

 一打逆転かなあ

 と思うことが何度かあった

 1度

 当時 首都圏私鉄の沿線で

 サラ金をチエーン展開していた経営者の娘の

 家庭教師をしたことがあって

 娘に凄く気に入られた

 と言っても小学高学年だ

 艶っぽいことではない

 ただ エキセントリックな性格で

 今まで6,7人も家庭教師を取り替えたが

 1ヶ月と勤まらなかったという

  
  あんたと娘は本当に相性がいい

 
 とまもなく2ヶ月になろうという頃

 なに相性がいいというより

 ただ遊び相手になっていただけで

 勉強が本当に嫌いな子だった

 僕も勉強を教えるより

 その子とアヤトリをしているほうが楽しかったのだ

 いくらいくらだそう

 だから フル勤務にならないか

 と水を向けられた

 いや 迫られた

 28歳半ばの一流会社社員の給料の

 倍額はあった

 それまで吹きだまりのような

 小企業の勤務が多く

 給料も相場の3分の2足らずの

 ところばかりだったので

 心は動いたよ

 でもねえ

 その父親

 毎日幹部社員を自宅に呼びつけて締めあげるの

 暴力団そこのけの怒声罵声を響かせて

 娘の部屋までがんがん聞こえる

 それに家庭教師は副業で

 別の勤めがあったし断ることにした


  
  そんな奴に娘の家庭教師は任せられない

  今日限りやめろ

 と首になった

 一打逆転のチャンスに三球三振だったかなあ

 と思ったが

 2,3ヶ月後

 その社長は脱税か何かの容疑で逮捕された


 こんな1打逆転のチャンスのケースを

 いくら話してもしょうがないか

 僕の場合は三球三振で正解だったんだから


 まともな一打逆転のチャンスを話して終わろう

 29歳で不摂生が祟り

 虫垂炎をこじらせ腹膜炎を併発し

 何日か視線をさまよった

 元気になっても入院が長引いて

 学生時代 他大学の哲学科の学生に

 何気なく書いた文章を褒められた記憶が蘇った


  きみ 小説を書けるぞ


 その一言を思い出して

 生まれて初めて小説を書き

 小説雑誌の新人賞に応募した

 それが2次予選を通った

 それから直木賞までは11年かかったが

 初応募は一打逆転を呼び込む

 貴重な出塁になった

 

 

   


 家康は
 この言葉の後に続けて
 
 急ぐべからず。
 不自由を常に思えば不足なし。

 と続けている。
 急ぐべからず…
 はテンポが速い今の世の中では
 家康在世時より心に銘記すべきだろう。

 しかし

 不自由を常と思えば不足なし。

 はどうだろう。
 今の人は家康が活躍していた時代と違い
 豊かな世の中で育っている。
 不自由は常ではなく
 むしろ 自由が常である。
 不自由を常だと思えるわけがない。

 となると
 何をもって重荷とするだろうか。
 
 1つはストレスではなかろうか。
 現代社会は現代人にとって
 ストレスがかかりやすい。
 必然的に現代人の心は病みやすい。
 それは大変な重荷であろう。

 その重荷の要因とも関係するが
 義務 責任も重荷だろう。
 
 戦国時代や
 幕藩体制下の人々も
 それぞれに義務と責任を負っていただろう。
 たとえば
 百姓にとって年貢を納めるのは
 百姓の家に生まれれば
 それは義務であり責任であると
 当たり前に受け入れた。

 暴虐な領主によって
 常識はずれな高率の年貢を課されて
 その苛斂誅求な取り立てにたまりかね
 一揆を起こすこともあったが
 多くは従順にその義務と責任を果たした。

 自由を享受している現代人は
 義務と責任を窮屈に感じ
 重荷として受け止めているのではないか。
 何とかしてその義務と責任を重荷にせずに
 楽しく働いて充実しながら果たしたい。

 そこに起業の夢が生まれる。
 自由奔放に自分を出せる想像の世界へ行きたい
 という夢が膨らむ。

 組織に残る人には
 出世街道の勝者になろうという野望が生まれる。
 野望もまた夢である。

 つまり
 現代人にとってそれぞれに描く夢が重荷なのである。
 夢は重荷でないという声も上がる。

 夢を実現する人は少数派であろう。
 実現できずに終わる多数派にとって
 夢は中途で重荷になるかもしれない。

 その重荷をおろし修正して新たな夢を描くのもいい。
 あるいは都会の片隅で倹しく生きる
 ことに幸せを感じる方向に行くのもいい。

 現代人にとっての重荷は夢である。
 その夢を変化させて重荷でなくしていくのもいい。
 それぞれの人生で夢はいかようにも変幻させられる。


 きみにとって問題は
 夢として何を重荷にするかなのである。
 その重荷がそのままに
 あるいは
 背負っていく過程で変化して実現し
 きみの人生を豊かに彩る。

 真剣に重荷を負うことだ。
 
 
 

 
 

 
 
  

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