月別アーカイブ / 2018年01月


 仮想通貨の取引所の1つから
 時価にして600億円近い巨額の仮想通貨が
 不正なアクセスで流失した。

 仮想通貨はネットの中でしか存在しない。
 株式取引なら株式証券
 金取引なら地金という裏づけが存在し
 買えば手許になくてもそれだけの株式証券や
 金の地金が所有できる。
 しかし
 仮想通貨にはそういう裏づけが何もない取引になる。
 現金で買った仮想通貨は
 現金で出金されるまではあくまで仮想通貨に過ぎない。
 むろん
 仮想通貨で買える物品や サービスはあるにしても…
 
 仮想通貨だから一瞬のうちに消滅してもおかしくない。
 今回の舞台の取引所はそのウォレットから
 何ものかがフィッシングしていったのだから
 今のところ明確な被害者である。
 

 この取引所の社長は27歳
 ネット世代の冷徹な頭脳の持ち主のようだが
 社会的な経験は乏しいに違いない。
 その甘さが出たのかもしれない。


 インターネットがまだ生まれていない
 1985年6月
 豊田商事の元社長永野一男が刺殺された。
 まだ32歳だった。
 豊田商事はトヨタ自動車とは縁もゆかりもない。
 ただ 永野はトヨタ自動車ゆかりの会社と見られることを期待して
 命名したようである。
 そのほうが詐欺会社としてはやりやすい。
 金の地金を儲かるからと投資名目で買わせ
 代金と引き換えに「純金ファミリー契約証券」を渡すのである。
 ただ その証券には地金の裏付けはない。
 その分の地金が会社にあるわけではない。
 ただのペーパーである。
 
 買わせられたのは高齢者が圧倒的に多い。
 この詐欺会社を立ち上げたとき
 永野は28歳だった。
 20代の社員を多数使い高齢者宅に飛び込み販売させ
 肩もみしたり仏壇に線香をあげさせた。
 歓心を買い契約を取ったのである。
 歩合給で当時で20代社員が月収100万200万を得た。

 破綻時
 全国で被害者数は約3万
 被害総額は約2000億円に上った。

 永野はその割には質素なマンション住まいだった。
 その部屋の前の通路には報道陣がひしめいた。
 逮捕の瞬間をとらえようとしてのことである。
 2名の刃物を持った暴漢が窓ガラスを破り部屋に侵入した。
 その2人によって永野は刺殺された。
 報道陣の多くはその瞬間をカメラや
 テレビカメラでとらえ
 刺殺を制止する者は殆どいなかった。
 刺殺時 永野の所持金はわずか711円だった。

 豊田商事事件の背景には
 日本で金の地金の高騰が続いていたことと
 独居高齢者の増加があった。
 何の裏付けもないペーパー1枚に多くの高齢者が踊らされた。

 仮想通貨はペーパーではない。
 ちゃんと代金を払って購入し
 値上がりすれば出金して現金を手にできる。
 しかし
 なぜか危うい雰囲気がつきまとう。
 ネットの世界でしか存在しえない仮想通貨が
 取引によって膨らんでいって
 ある日突然どこからか伸びてきた
 魔手によっていずこともなく
 ポンと痕跡を残さず飛んでいく。

 あるいは取引所にも想定不能な事情により
 きれいにスパンと蒸発する。
 起こらないという保証はない。

 ネット世界の仇花のような気がしてならない。

 
 
 
 

 
  


 人生は闘いなんだよ

 闘う相手は人でも状況でもいい

 それに怯むな

 怯むのは卑怯の怯

 臆して負けて終わる

 怖れよ

 相手は強いぞ

 一筋縄ではいかないぞ

 怖れてその力を畏れよ

 畏れて認めて覚悟せよ

 ここを先途と腹を決めて闘え

 そうすれば勝てる

 乗り越えられる

 怯むな

 怖れよ畏れよ

 そうして乗り越えて

 自分の人生を築いていけ

 


なにが(はれのひ)だよ。
成人式で振り袖姿になるのを
何年も前から楽しみにしている女の子は意外に多いのよ。
当節は振り袖を着るのは一生一度だもの。
それが成人式の日。
それが当節の娘心。
親御さんもその日が楽しみで
それに備えての貯えをやっていた家庭も多かったと思う。
倹しく暮らしていても
我が娘の晴れ姿はパアーッと輝いてほしいもの。
月々の積み立てで振り袖一式が整い
当日の着付けも任せてくださいということなら
親としても余計な気を遣わず
その日を待つことができる。

それなのに
もしも もしもだよ。
はれのひ事件の責任者に
この娘心親心を初めからないがしろにする意図があったら
罪深いよねえ。
これだけ投資すれば3年で倍になります
などと物欲に訴えてのことじゃないんだもの。
食いものにされた娘心親心の傷はそうそう癒されないだろうよ。
せめてもの救いは
心ある人たちの善意でかなりの数のお嬢さんが
無事晴れ姿を成人式に披露できたこと。

江戸時代もその礎が定まり
江戸の街も100万の賑わいに近づいた
17世紀半ばの明暦年間
4代将軍家綱の御代に後々までも
通称の振り袖火事の名で知られる大火が起きた。
江戸の町の大半を焼き
死者3万とも10万とも伝えられる
江戸期最大の大火だった。

振り袖火事と通称されるようになったのには
振り袖と娘心にまつわる因縁話が伝わっているためだ。

江戸麻布の裕福な質屋の娘が
母親と寺詣で帰途
どこかの寺小姓らしい美男子とすれ違った。
以来
娘は恋煩いで日夜煩悶するようになる。
不憫に思った両親は
そのときの寺小姓が着ていたものと同じ柄で
娘に振袖を作ってやった。
娘は毎夜その振袖をかき抱いて悶え
やがて死に至った。
両親は棺の上にその振袖をかけて野辺の送りを行った。
当時は棺の上に置かれたものは
寺男が自由にしていい風習だった。
寺男はその振袖を換金した。
その振袖を購入した家の娘が着ると
間もなく病に伏して死んだ。
その振袖はまた棺の上に置かれ
同じ寺の寺男がまた換金した。
すると
その振袖を着た家の娘がまたまた間もなく死んだ。
3度 その振袖は棺の上にかけられて
同じ寺に運ばれた。
これは因縁だと寺の僧も寺男も気味悪く思い
その振袖を護摩を焚いて燃やすことにした。
振り袖は火が移ると
人が着たように立ち上がった。
不思議な狂風が巻き起こり
振り袖は空高くに舞いあがり
江戸の町々を焼いていった。

それが振り袖火事の起こりと伝えられる。

はれのひの振袖騒動は
成人式が終わったから終わるものではない。
これからことの一部始終が明らかにされなければいけない。

傷ついた娘心親心はそれでも癒されないだろう。

平成最後の年に縁起でもない汚点をつけた罪は大きい。







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