月別アーカイブ / 2016年09月


 汚れちまった悲しみに

 と中原中也は謳いあげた

 でも

 悲しみはけして汚れはしない

 もしも

 これを読んでくれている人が

 まだ中高生だったら

 3,40年も経ったら

 きっとうなずく

 と断言する

 すでに

 深い悲しみを抱えている

 かもしれない

 まだ心をいたぶってやまない

 悲しみの経験は

 ないかもしれない

 やがては

 そういう悲しみに遭うことになる

 そして

 長い歳月が経過して

 かっての悲しみが

 心の宝になって

 自分の人生を

 豊かに彩っていることに

 感嘆するはずだ

 
 深い悲しみは磨かれて

 心の宝になることを

 約束されている

 人生で味わう悲しみは

 数え切れないだろう

 そのほとんどは

 つかのま心を傷めるだけで

 感受性の肥やしとして

 吸収される

 数えるほどの深い悲しみだけが

 心の宝の原石として

 磨かれていく


 もしも

 いまだに数10年も前の

 深い悲しみにフラッシュバックされ

 脅えることのある人は

 原石のまま放置している

 と思ってほしい

 そして

 僕の心の宝の1つが

 まだ原石にすぎなかった

 頃の話を聞いてほしい


 25歳の頃

 新宿の朝までやっていた

 飲み屋さんで

 たまに飲む友がいた

 いつもは鬱屈した表情で

 言葉が少なかった

 僕より2つ下だった

 ある夜

 彼はいつになく快活で

 いつになく多弁だった

 哲学青年だったから

 多弁なら傾聴すべき

 言葉の洪水になる

 哲学にはうとい僕は

 うんうんとうなずくだけだった


 熱を帯びた口調を

 不意に明るく澄んだものにして

 彼はこう言った

 「人生って道は悲しみで

   できているんだ」

 うん

 と僕はうなずいた

 「だから 貴いんだ」

 僕は黙っていた

 「なぜ貴いかは自分で考えろよ」

 このあと 彼はトイレに立ち

 戻ってくると

 席につかないで

 「今日はこれで帰る」

 と僕の肩を叩いた

 「じゃあな」

 彼は明朗でいて

 どこかファーンとして

 存在感の薄い表情を見せて

 僕の視界から消えた

 これを飲みきったら帰るか

 僕は水割りのグラスを揺すり

 腕時計を見た

 その直後

 あいつ 死ぬ気なんじゃないか

 という想念が脳裏をよぎった

 追いかけるか

 と腰を浮かしかけたけど

 そんなバカなことをするやつか

 と打ち消して

 飲みきってから店を出た


 その夜が明けた頃

 彼は跨線橋から身を投じて

 23歳のいのちを絶った

 無残な轢死だった

 そのことを僕は

 新聞のべた記事で知った


 もし

 あのとき追いかければ…

 僕は烈しく自分を責めた

 身を投じる彼の姿が

 鮮明にイメージされて

 叫ぶことがあった

 数年経っても

 フラッシュバックに見舞われた


 だが

 あのときの彼の言葉の

 意味を考えることで

 自分を責めることによって

 増幅された深い悲しみは

 徐々に磨かれていった


 人生の道は悲しみで

 できている

 だから 貴い

 なぜ貴いかは自分で考えろよ


 人によって答えが違い

 そのどれもが正しい

 ということを彼は悟っていた

 のだと思う

 なぜ貴いか

 悲しみがあって

 喜びは生まれる

 人は悲しみを抱えることで

 喜びを生みだして生きる

 それが僕の答えだ

 彼の言葉で

 僕は悲しみを怖れなくなった

 いつかは心の宝になる

 と強く信じているからだ

 

 
 悲しみが汚れることは

 けしてない

 

 

 

 

 

 


  


 誰からのものでも干渉されると

 うるさくて嫌になる

 つい言葉に

 その感情がこもるから

 干渉する側も

 感情的になり

 言い合いになる

 でも

 干渉されてうるさく思うのは

 大変 人間的で

 正常な証拠なの

 
 親からね

 どこへ行って誰に会うの?

 帰りは何時ごろ?

 なんて言われれば

 イライラッとくるだろう

 特に念願かなって初デートのときなんかね


 先輩でも

 ことごとに干渉してくるのがいる

 その前に

 昨日のこと 一昨日のことを

 根掘り葉掘り訊いてくるのもいる

 干渉するネタ探すためにね

  お前ね
  
  上司から言われたら

  たとえ黒いものでも白い

  と言わなきゃ

  出世しないよ

 何て言われた日には

 先輩やめてくださいって

 叫びたくなるだろ

 
 友人にもいるよね

  上に着てるのも柄で

  下にはいてるのも柄物じゃ

  センス疑われるよ

  ユニクロ行こう

  俺がコーデしてやるよ

 何て手を引っ張られたら

 ほっとけって払いのけたくなる


 恋人にも干渉が

 趣味みたいのいるだろ

 シン・ゴジラ観ようよ

 って誘ってるのに

  幼稚ね

  大作ってだけでしょ

  作りものだし

  こっちを観よ

 と誘って

 なぜその洋画がいいかを

 脚本論 監督論まで展開して

 延々と述べ立て

 上映館が少ないことを嘆き

  教養疑われないためにも

  これなのよ

 じゃ バカにされたみたいで

 それってB級映画だろ

 と一喝したくなる


 確かに親には子供への心配があり

 先輩には後輩への思いやりがあり

 友人には友情があり

 恋人には愛があってのことだろ

 でも ほんとうのところは

 そうじゃない

 自分好みのわが子であってほしい

 自分好みの後輩であってほしい

 自分好みの友人で会ってほしい

 自分好みの彼(彼女)であってほしい


 それなんだ

 自分の都合

 だから イラっとこないでいい

 冷静にただひとこと


 親の都合のいい

 先輩の都合のいい

 お前の都合のいい

 きみの都合のいい

 人間にはなりたくない

 
 それだけ言って

 あとはとりあわない

 それで干渉癖は

 だんだんおさまってくる

 たとえば

 彼(彼女)がその一言で

 離れていったら

 自分に都合のいい

 彼(彼女)にしたかっただけ

 愛はない

 そのままでいたら

 きみに災いをもたらすだけだった

 離れていったら

 祝杯をあげていい


 愛があれば離れない

 干渉癖がなくなり

 ドカンと魅力を増すはずだよ

 

 
 

 


  


 都内港区にある善福寺の山門です

 何か超高層の集合住宅に

 圧迫されて息苦しそう

  無論 境内に立っているわけでもなく

  違法建築でも何でもありませんが

  幕末にアメリカ公使館が置かれ

  公使のハリスさんも

  滞在していた古刹の風情を

  著しく損なっているような

  僕がこの地に事務所を構えた頃は

  参道から見る山門は

  古刹としてのオーラを放ち

  毅然と存在していました

  
  古都としての景観を重んじる

  京都の史蹟のある寺を訪れても

   超高層ではありませんが

   境内に高層のマンションが建ち

   がっかりすることがあります

   古寺にはマンションが似合う

   時代にさしかかって

  いるのでしょうか

  古寺巡りのウオーキングをしていて

  ため息をつくことが多くなりました

  それぞれに事情がある

  のでしょうが

   

 

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