我慢は何のためにするのか。
苦行ではないぞ。
自分の慢心を抑えるためなんだから、
とても大きなお返しがくる。
みんなチャンスをものにしたいだろ。
では、どんな状況がチャンスなのか。
最近は何かと話題になる回転寿司は、
ああマグロの握りが回ってくるな、と思った途端、右手にいる人が手を伸ばしてとってしまった。
少しがっかりしても、
またそのチャンスは巡ってくる。
つまり、ちょっと我慢すれば、
好物のマグロの握りを口にすることができる。
だからといって、チャンスをものにしたということではないよね。
1時間もいれば、
そのチャンスは何10回と巡ってくるんだから、
そんな安易なチャンスはない。
営利のために仕組まれたチャンスだしね。

人の目は節穴になることが多いのよ。
回転寿司の定番の握りが巡ってきただけなのに、ラッキーと思いサッとつかみとって口へ運ぶ。
そんな安易なチャンスはない。
それにチャンスはこれがチャンスだと意識していないところで生まれるものなのよ。
それをものにするには我慢が必要なんだ。
我慢は意識できる。
その我慢をしている自分が本当に本物のチャンスを掴むのは、
無意識の行動によるものなのだ。
小さな商社に勤めたとき、アメリカで生まれで向こうで教育を受け、
カレッジを卒業した先輩がいた。
僕と同年だったけれど、
僕は彼のことをリスペクトしていた。
バイリンガルという言葉はまだ一般的ではなかったけれど、
後のバイリンガルそのものだった。
彼はよく僕に、
「こういうところからこういう話がきているんだ」
と、よく話した。
僕から見れば、
どれもこれもみな素晴らしい勤め先に見えた。
待遇も良かったんだよ。
でも、彼は余裕の笑みを浮かべて、
我慢するよといつも言った。
あるとき、彼は転職すると言った。
行き先を聞いたら超一流の会社だった。
彼は時間を見つけて国会図書館へ通っていた。日本について知らないことが多すぎる。
そのための図書館通いだった。
そこで知り合った年配の人がいて、
ある日、
彼にとっては青天の霹靂のようにスカウトされた。
彼は話を聞いてすぐに、よろしくお願いします、
と頭を下げたという。
「我慢していたんだ、ずっと。いろいろ誘われたけれど、向こうから見てただの獲物になりたくなかった。その人はずっと僕を観察していたんだと思う。まさかスカウトされるとは思わなかったよ。話を聞いたときには、もう僕の気持ちは決まっていた」
彼は楽しい我慢を続けてきた。
そういうことだろうね。
我慢は苦行ではない。
たとえ苦しくても辛くても、
我慢は楽しいからできる。
希望を抱け。
自信があるからできる。
だから楽しい。
だから、必ず大きなチャンスが、
こっちには見えないにしても巡ってくる。
掴むのではなくて、
向こうから懐に入ってくるものだと思う。
我慢をしよう。
我慢こそ最良の選択だと思う。