清々しい音を立てて用水が流れている。
それに架かる橋の手前で、私は足を止めた。
真一文字に流れる用水は、心が洗われるほどに澄んでいる。
私は幅が2メートル余りの用水の上流を眺めた。頂上に雪を頂いた山脈がそびえている。
この用水の水はその山脈で生まれた伏流らしい。
私の祖父たちが作ったもので、
その頃には30人前後の人口があったと父に聞かされた。
私はぐるりと頭を回して下流を見た。
1キロ前後で荒れ野は切れて樹林になっている。そこから始まる樹林はどこまで続いているのだろう。
今の私は直径2キロ位の荒れ野のほぼ中心にいる。
つまり、用水は荒れ野を真っ二つに割いて流れている。対岸の荒れ野は、
200メートルほど先のところから、
小さな樹林が始まっている。その前に200平方メートル位の畑が見える。
畑のすぐ向こうにニッパハウスのような小屋が見える。
小さな樹林はよく見ると、みんな果樹のようだった。
橙色の果実が西日に光っている。
ニッパハウスのような小屋から、
背が低くずんぐりした人が出てきた。私は笑いを浮かべた。
人ではない。男性のオランウータンだった。
彼は両手に果実や、芋類の入った手提げカゴを下げていた。
もっとも、私も両手に荷物を下げている。右手に玄米で作った餅と、左手に白米で作ったパンだった。
私の背後にも小道が続いている。250メートル余りで水田があり、丸太で作った小屋がある。
そこが私の住処だった。
オランウータンは橋のたもとまできた。
「ウング、ググッ、グオグゴ、グッゴギョ」
オランウータンは喜びで顔をゆがめて笑った。
(ごきげんよう、お元気そうでなにより)
と、言ったのだ。
彼の発声が言語かどうかはわからない。
ただ、しっかりと感情伝えており、その感情を私が読み取っているに過ぎない。
「お互いご健勝でなにより、また、交換の日がきてうれしい」
と、私は応じた。
彼はこの荒野に住み着いた彼の先祖から数えると、6代目のはずである。
彼の祖はどこかの類人猿センターから逃げ出してきたカップルのオランウータンで、
大分昔に亡くなった私の祖父によれば、
当時の祖父の仲間たちが根気よく果実の栽培や、芋の栽培を教え込んだという。
というより、カップルのオランウータンに果樹園や、畑を手伝わせていたということらしい。
先年亡くなった父の話によれば、
オランウータンのコミュニティーは
その3代目のときには十数頭になって、果実や、鋳物栽培を自分たちだけでどうにかできるようになった。
父の代には人間のコミュニティーは半減している。
いっとき、荒れ野のかなりの部分は水田をおもに、
果実の栽培、芋類の栽培、少しの茶畑さえもやっていたのに、手が回らなくなりどんどん荒れ野に変貌していった。
その過程で、用水の向こうはオランウータンのコミュニティーのものになり、オランウータンは人間から完全に独立した。
ところが、その5代目のときには、
つまり、今の彼のお父さんの代には彼の家1家族だけになり、彼の代になってからは彼とその妻だけになった。
その妻も3年前に亡くなった。
オランウータンのことだけではない。人間のコミュニティーだってそうだ。
私が父の後を継いだときには、
私たち夫婦だけになった。
子供はできなかった。
オランウータンの彼の場合も同じだった。
血族結婚の重なりが招いた結果だろう。
私は妻を5年前に亡くしている。1対1になってから、彼との仲は大変友好的なものになっている。
収穫物の交換をし合うことで、
お互いに生き延びることができる。.
私と彼はお互いに持参した収穫物を交換しあった。軽くハグして、またね、と私は言った。
「ジョグジョグ、ジョジョ」
彼は笑って答えた。
私たちは橋の中央で背中を向けあった。
そうして、お互いの我が家に向かいだした。
小道を歩いていると、
荒れ野を掻き分けて突風が吹きつけてきた。
おそらく、私は最後の人類に違いない。
彼も最後のウランウータンだろう。
祖父は子供の私によくこう言ったものだ。
「ユーラシア大陸の西のはずれの方で戦争が始まった。戦争は始まればを必ず拡大する。そして、最終兵器が使われ、人類は滅びの淵に立った」
祖父は深く大きなため息をついて続けた。
「この地に来るまでお祖父ちゃんがいたコミュニティーは100人を超えていたんだよ。それが20年も経たないうちにお祖父ちゃん1人になった。疫病のおかげだ。医師も薬も存在しなかったし、滅びるのは無理もない。お祖父ちゃんが最後の人類かと思ったが、この地に来て3、40人のコミュニティーを見つけたときは夢かと思ったね。恋もできたし、子供も何人も生まれたし。でもなぁ、所詮は滅びる過程に過ぎなかったんだ」
その後、祖父は僕に縄跳びを教えてくれた。
「懐かしい、またあの時代に戻りたいなぁ」
思わず私は声に出してつぶやいていた。

我が家はもう目の前だった。
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