Tさんは30代後半、

9歳のときからお母さんの在宅ケアをしてきた。

お母さんは指定難病多発性筋炎。

動くのもままならない。

そのお母さんとお父さん、お兄さん、T さんの4人家族。

お父さん、お兄さんはそれぞれに協力してくれたが、

お母さんの在宅ケアの主役は、

まだ小学生のTさんが担うことになった。

お母さんの病状が安定せず、間質性肺炎を併発した。入退院も繰り返した。

こりゃ大変だな、と僕は思った。

多発性筋炎ではないが、僕は2017年に77歳で関節リウマチと診断された。

関節リウマチは指定難病ではないが、

多発性筋炎も関節リウマチも共に難治性の膠原病である。

そのお母さんを小中高校生時代を通してケアし続けたのである。

僕も関節リウマチから間質性肺炎を併発した。

さらに、2019年、関節リウマチを進行させ歩行不能になり車椅子ユーザ-になった。

 Tさんのお母さんは入退院を繰り返しながら、さらにまた悪性リンパ腫を併発した。

救いになったことには、Tさんの渾身的なケアも奏功して悪性リンパ腫は寛解に至った。

しかし、多発性筋炎も間質性肺炎も次第に進行し、

ついにお母さんは66歳で帰らぬ人になった。

それまでのTさんの献身的なケアとお母さんへの愛情は、

どんなにか辛く、

かつ尊いものだったかは部外者には想像もできないだろう。

1つ言えることは、それを経験したことのない人にとって、

仮にTさんが相談したり愚痴をこぼしたとしても、大変ね、とうわべだけの同情で終わるということで

ある。

Tさんはそんなことを求めていない。

ただ、夢に燃えてひたすら努力し楽しんだであろう自分の成長期や、

青春の大半を犠牲にしてケアをしているその自分を理解してほしかったということだと思う。

肉親の在宅ケアというのは人に甘えようがないシビアなもので、

自分自身がそのことにどれだけ価値を見出していけるかどうかなのである。

僕は2019年に車椅子ユーザになり、その時点で要介護3の認定をされた。

何種類もの介護サービスを受けながら要介護2、要介護1に症状を改善させよう、

と自分なりの努力をした。

ただ、その間に年齢的な衰えもあったのか、

関節リウマチのほうはこと志と違って少し進行させ、

このほど要介護4の認定を受けた。

間質性肺炎のほうは幸いにもずっと症状が安定している。

自力でできることは手、腕を始め、多少の痛みは覚悟の上で行っている。

妻の介護と様々な介護サービスを受けながら、

1日5時間を上限に原稿の執筆、SNSの発信などには何の不都合もない。

恵まれていると思う。

そして、どこまで可能かは神のみぞ知るということになるが、

要介護4を出発階にした僕というエレベーターが要介護3、2、1 と上っていくのを目指している。

深夜にたまたま聴いたラジオの番組で、  

Tさんの大変なご苦労を知り、意欲、気力、

そして、生きる力をたくましくして、いろんな意味で向上していこう、

と自分を励ますことができた。

Tさんのこれからの人生が恵まれたものになることを強く信じながら、

自分も作品の創出になお頑張ろう、

と思いを新たにすることができた。