1994年夏、

94歳で母が亡くなりました。

90歳を過ぎても毎日のお使いに、

掃除洗濯に元気いっぱいでしたが、

その年に体調を崩してしばらくして息を引き取りました。

母は東京の下町にあった技芸学校の寮に入って、

料理裁縫などを学んでいましたが、

昼食の支度の最中に関東大震災に見舞われました。

着の身着のままで火の海のなかを逃げ惑い、

九死に一生を得たものの、

それから伊豆の東海岸にある実家へ辿り着くまでが大変だったようです。

母は大震災の体験をあまり語りたがりませんでした。

「私がこうして生きてこられたのも、

 人様の情けのお陰なのよ」

体調を崩してからの母が、

僕にボソッとつぶやいたことがありました。

翌1995年1月、

阪神大震災が発生しました。

そのとき、火の海の中を逃げ惑う母の姿が浮かびました。

こうして生きているのも人様のお陰、と言った母の言葉が耳元で蘇りました。

慰問活動に駆けつけようと思いました。

でも、当時の僕は人生でもっとも多忙な時期で、

小説、エッセイ等の執筆、テレビラジオへの出演、講演イベント活動などで、

1年ぐらい先まで予定がぎっしりと埋まっていました。

そのため、慰問活動に駆けつける時間は都合がつけられなかったのです。

何とかして被災者の役に立ちたい。

僕はその年の暮れまでの予定にある講演の謝礼の 1部を、

各地の日赤などを通して被災者のために使ってほしいと寄付をすることにしました。

たまたま、秋に「激震都市 東京」という小説の単行本刊行したので、

その印税の半額を出版社を通して寄付させていただきました。

 1999年8月、僕は「よい子に読み聞かせ隊を結成し、

全国で読み聞かせ活動を開始しました。

超多忙だった時期に比べて時間的な余裕が生まれたので、

大きな災害が発生すると仲間と慰問活動を行いました。

中越地震では山古志村の老若男女が避難していた長岡の高校の体育館を訪れ、

読み聞かせ慰問を行いました。

福岡西方沖地震では玄海島の人々が避難していた

福岡市の九州電力の体育館を訪れ、

読み聞かせ慰問を行いました。

東北大震災では被災地が読み聞かせ活動で訪れたところとずいぶん重なっていたので、

5年連続で慰問に入りました。

2016年は熊本地震が発生したので熊本で小学校、幼稚園、

保育園その他で読み聞かせや、ミニ音楽祭を開催して慰問させていただきました。

その翌年から右膝が腫れて歩行が苦痛になりました。診断の結果は関節リウマチでした。

腰椎骨折などの事故も重なりリウマチを悪化させ、

2019年の初夏から車いすユーザになりました。

それでもその年はいくつかの読み聞かせイベントを行いましたが、

2000年からはそういう活動は不可能になり、

原稿執筆とSNSへの発信はかろうじて続けてきております。 

 そういう状態のときに、

ロシアがウクライナに侵攻してウクライナを舞台に戦争が起こりました。

無垢の子供たちが巻き込まれて犠牲になっていく。

そういう姿をテレビや、ネットの動画で見るたびに、

僕の心は痛みました。

健康だったら時間を作りウクライナに飛んで子供たちに日本の絵本の読み聞かせをやってあげたい。

もちろん、通訳をつけてのものになりますが、海外で2度、その国の子供たちに読み聞かせを行った経験

がある僕にとって、それはぜひやりたいことだったのです。

でも、今の僕の体では到底不可能なことです。

おりもおり、GALLERY21という画廊さんから、

僕のアクリル作品「自虐的自画像」が版画化されて販売になりました。

第39回日象展小作の部で秀作賞いただいた作品です。

阪神大震災のときには超多忙で動きが取れなかったのですが、

今回は時間は作ることができても体の都合で動きが取れません。

版画化された作品は1点売れれば20%の版画料が僕に支払われます。

それを全額、日本へ避難してきたウクライナ避難民の子供たちの役に立ってほしい、

と寄付することに決めさせていただきました。

販売期間は6月いっぱいまでですが、

僕の版画化作品ですからどれほど売れるかまったく予想もつきません。

でも、一生懸命告知活動をして1点でも多くの版画料を寄付できれば、
と強く願っております。

寄付の窓口をどこにするかは販売が終了するまでに決めさせていただききます。


版画化作品の詳細については下記URLをご覧ください。

 gallery21 gallery21.buyshop.jp/items/62524073 #BASEec @gallery21daibaより