今の東京都小金井市に国鉄官舎の我が家はあった。
僕の満5歳は昭和20年、1945年のことで、
その年の春頃から小金井と、その周辺の上空では、敵味方の戦闘機がしょっちゅう空中戦を演じていた。
10数戸の国鉄官舎は、
分区と呼ばれる工事事務所に隣接して設けられていた。 
5歳の僕の目が捉えた光景は、砂の山からバケツリレーで砂を運び、官舎の屋根に撒き散らすという消火訓練だった。
その1回は我が家の屋根が燃えているという設定で、ハシゴの中段にいた父が砂を山盛りにしたバケツを受け取り、さらにハシゴの上段に上り屋根に投げつけるように撒き散らした。
下で見ていた僕の目に風であおられた砂粒が入った。
これで焼夷弾の火は消えるのか、と僕は奇妙な気持ちになった。
もし僕がこの年、満6歳だったら国民学校1年生。学校で戦意高揚の教育を受けていれば、そのような消火訓練を見ても、やってるやってる、と拍手したかもしれない。
しかし、学齢前の僕はそういう教育を受けていないので、逆に先入観に惑わされることなく5歳の冷静な目で見ることができたのだろう。
東の空が真っ赤に焦げる不気味な光景も見ている。東京大空襲の夜のことだった。
小金井や、隣接地域の町村には軍需工場や、その下請工場を含めれば、
10指では間に合わない数のものが点在していた。
そういうところが空襲を受けてどんな状態に陥ったかは、大人たちの会話で承知していた。
バケツリレーの砂かけぐらいで焼夷弾で広がった火が消せるわけないじゃないか。
 5歳の子供は素直にいぶかしく思っただけだった。
本当に身近で怖い光景があった。
それは分区の人たち、つまり鉄道員の人たちが竹先を尖らせた竹槍を構え、
雄叫びを上げながら敵兵に見立てた藁人形に突進し、その胸を刺す光景だった。
軍刀を抜き放った在郷軍人の号令とともに、
みんな形相を変えて突進し竹槍でグサグサ藁人形の胸を刺し貫いた。これはみんな超マジでやっているだけに、とても僕の胸に恐怖を噴き上げさせた。
それでも。やはり、どこか嘘くさいと感じ取っていた。 
B29の編隊が後から後から途切れなく真上に近い上空を西に向かうのを何度も目撃している。
5歳の子供の目には空飛ぶ恐竜の群れだった。
それと竹槍を比べて、こんなもんで戦争ができるわけないや、というのは素朴な疑問だった。
日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏した。
戦後に、それも大人になってからオリンピック作戦とか、コロネット作戦とかいう米軍の日本上陸作戦計画を知ったときには、本当に無条件降伏してよかった、と改めて胸を撫で下ろしたものだった。
房総半島に大軍の米軍が上陸したら、武器等の装備が段違いで、日本軍はゲリラ戦的な展開に追い込まれる。
そして、銃後の民、つまり、一般市民は雑木林などに隠れて、散開した米軍が現れれば竹槍で突撃を繰り返すだろう。 
1人2人の米兵をで竹槍で刺したとしても、直後に機関銃や、自動小銃でなぎ倒されただろう。
日本は島国で、ウクライナのように隣接する複数の国へ逃げ込むわけにはいかない。
戦力を大きく失った段階で無条件降伏をせざるを得なかったに違いない。
そのときには、一般市民もおびただしい
命を失っていたに違いない。
本土上陸作戦が展開される前に、無条件降伏を行えたことが、今になって土壇場での賢い選択であったと評価できる。
ウクライナで起きている戦火は今すぐに止んで欲しい。
戦争は一般市民を好むと好まざるとにかかわらず巻き込んでしまう、人類にとってもっとも愚劣な行為である。