夏目漱石、森鴎外、太宰治他の文豪と称される作家達の筆跡は、
今でも脳裏にすぐ蘇る。
そういう催しで実際に 本物の原稿を目にした経験があるからである。
ネット時代の今は、
ほとんどの作家がパソコンなどのネットの利器を使って原稿を書いている。
僕もその1人である。
原稿依頼するほうも依頼されるほうもそれが約束事になっている。。
今、盛んに作品を発表している人達や、これから出てくる人達の中に何人かは後の世に文豪と称されるだろう。
仮に200年後、
その人達の遺作展的な催しが企画されるとして、企画者は何を展示するのだろう。
紙の単行本か、手紙はがき類の書簡か、どこかに残してきた色紙か、紙片に記したメモ類か。
さて、書簡や、メモ類も見つからないかもしれない。
そういうものもスマホの機能で間に合うからである。
一体、何を目玉としてそのような催しを開催するのだろうか。
まさか、ネットに保存されたワードの原稿をコピーにして展示するわけにもいかないだろう。
文字は単なる記号であるが故に、
生原稿になるとそれぞれの書き手の癖が出て価値が生じる。
こんなことを考えていると、
お前余計なことを考えずに原稿書けよ、
とお叱りを受けるかもしれない。
でも、文豪達の一癖も2癖もある味わい深い遺作原稿見てきた僕は、
妙なところに心配がいってしまう。
こういう遺作展ではないか、という想像案があったらお教え願いたい。
いや、教えないでいい。
それをネタにして、
未来社会の作家世界を描いて発表してほしい。