昭和20年、西暦で言えば1945年。
その8月15日に、
日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏した。
その日のことは鮮明に覚えているんだよなぁ。
僕はお昼に近い時間、廊下に出てぼんやりしていた。
とても暑い日だった。
まだ、敵機が飛んでこないな。
僕は空を見上げた。
B29の戦略爆撃で、
日本の主要都市はあらかた廃墟になり、
広島、長崎には原爆が落とされた。
でも、東京都下のこの地域(武蔵野、三鷹、調布)には、
艦載機のグラマンや、
硫黄島からP38 といった
戦闘機がブンブン飛んできて、
機銃掃射や、
戦闘機にも装備できる小型爆弾で爆撃を行った。
人が群れていると見れば、
急降下して機銃掃射をやったんだよ。
八王子方面なんか
中央線のトンネルに逃げ込もうとして、
逃げ遅れた老若男女に機銃弾を雨あられと浴びせた。
これは戦後に知ったことだけど、
数十人が死んだって。
背中に幼子をおんぶした若い母親が
幼子ごと射貫かれて死んだって。
これが戦争の本当の姿なんだよ。
艦隊同士の決戦とか、
空中戦とか、
地上部隊同士の激突とかが戦争じゃないんだ。
罪のない市民が巻き込まれて、
あるいは意図的に虐殺されていく。
これが戦争なんだ。
話を戻そう。
見上げた空には雲1つなかった。
庭木のアオギリでアブラゼミが鳴いていた。
僕はぼんやりした。
ぼんやりって時間が経つのが早いんだよね。
庭の木戸を開けて父が入ってきた。
アブラゼミが飛び立った。
電気工事畑の国鉄職員だった父の職場は、
分区と呼ばれる工事事務所で、
自宅と道を隔てたすぐのところにあった。
父は僕には目もくれず廊下に上体を乗り出すようにして、
「おい、戦争が終わったよ」
と、奥へ叫んだ。
台所から母がすっ飛ぶようにして出てきた。
「本当なの?」
「今、分区のラジオで陛下の放送があってな」
それを聞いた途端、
母はへなへなという感じで両膝を崩し廊下に手を突いた。
そのときの母の様子は、
今の僕でも手に取るように思い出せる。
安心して半ば虚脱状態になり、
その虚脱感に身を任せたのだ。
5歳だった僕も戦争が終わったという父の一言に、
本当に安心したものだった。
翌年の4月、小学校に入学した。
先生方は誰もが何かにつけ、
デモクラシーという言葉を口にした。
調布、府中、立川などに米軍が駐屯して、
学校のそばの道を米軍車両がよく通った。
その多くはジープだった。
僕らはジープが前からくると、
歓声を上げて手を振った。
するとジープに乗っていた米兵が何か叫びながら、
ガム、キャンデー、チョコレートなどをバンバン投げてきた。
いっとき、ジープは学校帰りの僕らにとって、
軍服のサンタクロースたちを乗せた幸福の車だった。
戦争が終われば一夜にして世の中が変わる。
それで僕らは平和を実感した。
虐殺される怖れが消えて、
代わりにキャンデーや、
チョコレートが飛んでくる。
それが平和の証なのだ。