汚れちまった悲しみに


 と中原中也は謳いあげた。



 でも、



 悲しみはけして汚れはしない.。



 もしも、



 これを読んでくれている人が


 まだ中高生だったら、



 3,40年も経ったら、


 きっとうなずく、


 と断言する。


 すでに、


 深い悲しみを抱えている


 かもしれない。


 まだ心をいたぶってやまない


 悲しみの経験は、


 ないかもしれない。


 やがては、


 そういう悲しみに遭うことになる。


 そして、


 長い歳月が経過して、


 かっての悲しみが


 心の宝になって、


 自分の人生を


 豊かに彩っていることに


 感嘆するはずだ。


 

 深い悲しみは磨かれて、


 心の宝になることを


 約束されている。


 人生で味わう悲しみは、


 数え切れないだろう。


 そのほとんどは、


 つかのま心を傷めるだけで、


 感受性の肥やしとして


 吸収される。


 数えるほどの深い悲しみだけが、


 心の宝の原石として


 磨かれていく。



 もしも、


 いまだに数10年も前の


 深い悲しみにフラッシュバックされ、


 脅えることのある人は、


 原石のまま放置している


 と思ってほしい。


 そして、


 僕の心の宝の1つが、


 まだ原石にすぎなかった


 頃の話を聞いてほしい。



 25歳の頃、


 新宿の朝までやっていた


 飲み屋さんで、


 たまに飲む友がいた。


 いつもは鬱屈した表情で、


 言葉が少なかった。


 僕より2つ下だった。


 ある夜、


 彼はいつになく快活で


 いつになく多弁だった。


 哲学青年だったから、


 多弁なら傾聴すべき


 言葉の洪水になる。


 哲学にはうとい僕は、


 うんうんとうなずくだけだった。



 熱を帯びた口調を


 不意に明るく澄んだものにして、


 彼はこう言った。


 「人生って道は悲しみで


   できているんだ」


 うん、


 と僕はうなずいた。


 「だから 貴いんだ」


 僕は黙っていた。


 「なぜ貴いかは自分で考えろよ」


 このあと 彼はトイレに立ち、


 戻ってくると


 席につかないで、


 「今日はこれで帰る」


 と僕の肩を叩いた。


 「じゃあな」


 彼は明朗でいて


 どこかファーンとして


 存在感の薄い表情を見せて、


 僕の視界から消えた。


 これを飲みきったら帰るか、


 僕は水割りのグラスを揺すり、


 腕時計を見た。


 その直後、


 あいつ 死ぬ気なんじゃないか、


 という想念が脳裏をよぎった。


 追いかけるか、


 と腰を浮かしかけたけど、


 そんなバカなことをするやつか


 と打ち消して、


 飲みきってから店を出た。



 その夜が明けた頃、


 彼は跨線橋から身を投じて


 23歳のいのちを絶った。


 無残な轢死だった。


 そのことを僕は、


 新聞のべた記事で知った。



 もし、


 あのとき追いかければ、…


 僕は烈しく自分を責めた。


 身を投じる彼の姿が、


 鮮明にイメージされて


 叫ぶことがあった。


 数年経っても、


 フラッシュバックに見舞われた。



 だが、


 あのときの彼の言葉の


 意味を考えることで、


 自分を責めることによって


 増幅された深い悲しみは、


 徐々に磨かれていった。



 人生の道は悲しみで


 できている


 だから 貴い


 なぜ貴いかは自分で考えろよ



 人によって答えが違い、


 そのどれもが正しい、


 ということを彼は悟っていた、


 のだと思う。


 なぜ貴いか、


 悲しみがあって


 喜びは生まれる。


 人は悲しみを抱えることで、


 喜びを生みだして生きる。


 それが僕の答えだ。


 彼の言葉で、


 僕は悲しみを怖れなくなった。


 いつかは心の宝になる、


 と強く信じているからだ。


 


 

 悲しみが汚れることは、


 けしてない。