1964年10月10日からの15日間は、

開会式が晴れ渡ったため、

天候に恵まれたような印象がある。

でも、

記憶をよく手繰ってみると、

雨の日、雨模様の日が少なくなかったと思う。


当時、僕は24歳で留年2年目。

つまり、大学6年生。

まだいくつも単位数が不足していて、

翌年の2月、

3月に行われる追再試験の結果いかんでは、

卒業できないおそれもあった。

鬱屈気味のときもあったが、

それは小遣い金欠病が原因のことがほとんどで、

普段はノホホンとして悠々自適のようなものだった。

追再試験だけ受ければいいし、

普段はバイトか、

ぶらぶら生活で時間を過ごした。

親許での生活だったので、

親の小言は馬の耳に念仏でかわし、

あとは気ままに暮らした。


そんな状態だったのに、

希望は捨てなかった。

高度経済成長はいまだ継続中で、

閉塞感はなく、

なんとかなるさ、

という漠然とした希望は、

当時の僕でも抱けたものか。

そんな時代の流れがあった。

東京五輪の15日間、

僕はたまたまバイトをしておらず、

テレビ中継をよく見ていた。

でも、自宅で家族そろって見たのは、

開会式だけだった。

では、どこで見たのだろう。

いろんなところで、

としか言いようがない。


重量挙げフェザー級で、

三宅義信選手が優勝した瞬間は、

中野の雀荘だったのかな。

映画のエキストラをやっていた

同年の者と居酒屋で知り合い、

僕もエキストラをやるようになっていた。

彼は麻雀自慢で、

見ているだけでいいからついてこいよ、

と誘われてついていった。

顔なじみのようだけど、

麻雀ばっかりやっていそうな連中とやり始めた。

すぐに片がつくブー麻雀だったけれど、

彼は勝ち続けた。

僕がバイト先でバイト仲間とやるような

千点10円20円ではなく、

上がれば他の3人から総取りになった。

突然、

店内のテレビが点けられ、

三宅義信の決勝戦が始まるところだった。

みんな、

テレビの近くに集まってきた。

勝利の瞬間は店内を揺るがしての

大歓声が起きた。

気がつくと彼がいないし、

卓を囲んでいた他の3人も消えていた。

店主らしいのがきて、

場代を請求された。

あの野郎、どこへフケやがった、

とさすがに腹が立って外に出て少し歩くと、

後ろから呼び止められた。

彼だった。

片目がメガネザルのようになり、

唇が腫れ上がり血を滲ませている。

ジャケットの肩や、

襟にも泥がついている。

「場所代、いくらだった? 払うよ」

「それより、どうしたんだ?」

「積み込みをやりやがって、と因縁をつけてきた。

 卑怯な連中だ。自分たちの腕の悪さを

 棚に上げやがって」

積み込みとは、

大きな役がつく牌が自分に回ってくるよう

積み込むことで、

このイカサマを見破られないようにするためには、

かなりの技量がいる。

「積込みかどうか警察へ行こう、

 と開き直って叫んだら逃げていったよ。

 いろいろスネに傷を持ってんだろ」

飲まないかと誘われたが、

断って別れた。


レスリングのフリースタイルで、

日本は3つ金メダルを取った。

その日、

僕はバイト先で知りあった

他大生のOと会う約束があった。

時間を30分過ぎてもOは現れなかった。

真面目なやつだったので、

スッポカシはしない。

今と違ってケータイがない時代で、

江古田の彼のアパートへ急行した。

Oはウンウン唸って寝ていた。

熱冷ましを飲んで、

少し熱が引いてきたところだという。

近くの喫茶店の名を出して、

連れていってくれとせがんだ。

「知っている選手が出るんだ。学年は違うが、

 士別で高校が一緒だったんだ」

「誰だよ?」

「wだ」

「なんだよ、学部は違うけどな、いちおう同期だ。

 向こうはとっくに卒業しているけれど」

僕もぜひ観戦したかったので、

彼に肩を貸してヨチヨチ歩いて向かった。

彼の体はとても熱かった。

その喫茶店には、

当時としては大きな画面のテレビが設置されていた。

Oの様子を見て先客が観戦しやすい場所を空けてくれた。

Oは新たに服用した熱冷ましが効いてきたのか、

ダラダラ流れる汗をお絞りで拭きながら観戦した。

W選手が優勝を決めた瞬間、

Oはひときわ高い歓声を上げた。

野獣の雄叫びだった。

その顔は泣き笑っていた。

僕ももらい泣きして鼻をグシュグシュ鳴らした。


雨の日だったなあ。

女子バレーボールのソ連との決勝は自宅で見よう、

と思っていたら、

L子さんという年上の女性から電話がかかってきて、

5,6人集まってテレビ観戦するのでこない、

と誘われた。

L子さんは、

阿佐ヶ谷の焼き鳥屋で

何度も一緒になっての飲み友達だった。

帽子にスーツという制服姿で知られた

P化粧品のセールスレディで、

男勝りだった。

五輪観戦用にテレビを入れたばかりだという。

L子さんのマンションへ行くと、

もう6,7人集まっていた。

ギョッとなったのは、

女性ばかりだったからだ。

化粧の感じと雰囲気から、

みんなP化粧品のセールスレディだ、

とわかった。

ビールを飲みながらの観戦だった。

姦しいことこの上ない。

僕は借りてきたネコ状態で、

ひたすら画面に見入った。

日本が優勝した瞬間、

壁を突き抜けそうな黄色い歓声はまだしも、

僕は彼女たちにバッバっとビールをかけられた。

地獄の苦しみだった。


それはともかくとして、

日本選手の活躍には夢をもらったなあ。

おれもやるぞ、って。

でも、

翌春、やっと卒業できたけれど、

職転々の人生が始まった。

なのに、なぜか楽天的だった。

そのうちやるぞ、

で充分通せるのどかに夢を描けた時代だった。


金16、銀5、銅8。

20競技163種目でだよ。

2020東京五輪は33競技339種目。

比率で言えば金33か34。


64東京五輪は、

すべてがパラダイスだった。