少年王者から入って少年ケニヤにハマったのよ。

ケニアを舞台に活躍する日本人孤児のワタルと、

マサイ族の人たちや、

動物たちとの温かい交流や、葛藤は、

オイラの胸を躍らせてくれた。

子供だったオイラにとってケニアのことは、

少年ケニヤで知るだけの異世界だったのよ。


後年、アニメでも見たけれど、

色鮮やかなマサイ族のファッションは、

目に深くしみたなあ。


昨日、

女子バレーの日本対ケニアの試合を見た。

日本がストレートで勝ってもおかしくなかったが、

ケニアはよく頑張ったし、

楽しんでいた。

選手個々の個性が際立っていて、

見ていてあきなかった。

両側頭部をモヒカン刈り風にして、

残った髪を鮮やかに多色に染めていた選手を始め、

カラーリングの髪が揺れて宙を躍り、

斜に流れ床で跳ねた。


日本選手では、

カラーリングは皆無で寂しかった。

カラーリングは禁止なのかな。

そうでないのなら、

1人ぐらいピンクや、

緑がいてもよかったのに、

同調圧力が働いて自制した結果かな。


同調圧力と言えば、

オイラがタイツ姿になった1980年代後半は、

その格好で街を歩くと、

穢らわしい生き物でも見るように、

白い目で見られたよ。

罵声はよく飛んできた。

でも、

胸を張って歩いたよ。

テメーが好きで始めたことじゃないか、

と自分を鼓舞しながらな。

みんながしているようにしろ、

という同調圧力には屈しねえぞ、

とトンガってよ。


そんなオイラに注目してくれたのは、

当時、元気いっぱいだった

バラエティー番組のプロデューサーたちだった。

各局の人気バラエティー番組から

続々ゲスト出演のオファーがきた。

街を歩いても、

だいぶ風向きが変わってきた。

オイラを見かけると、

中高生のグループや、

修学旅行の団体がキャアキャア騒いだ。


中高年の、

特に男たちの態度は、

まだ白眼視や、敵視に近かった。

「バカか、お前は」

「国はどこなんだよ」

罵声はまだ飛んできたな。

オイラにはよそゆきとか、

普段着とか、

出演衣装の区別はなかったからな。


その頃、

吉祥寺駅の北口近くにある

ハモニカ横丁の屋台風居酒屋で、

1,2杯ひっかけていこうと思ってさ、

空席を探していたら、

「死ね!」

という罵声が飛んできた。

そのときには、

オイラの顔面は、

コップの酒でびしょ濡れになっていたのよ。

空のコップを手に、

70歳前後の男性が憎しみに満ちた目で、

オイラをにらんでいた。

ええっ、

憎まれることオイラした、

と不条理な思いに因われたよ。


じっと耐えた。


それからまもなく、

笑っていいとも のレギュラーになり、

カラーリングも始めたんだよ。

街を歩いても笑われこそすれ、

白眼視は稀なことになった。


どうしてそんな格好をしているんだ、

という非難の言葉の裏にある同調圧力には、

ついに屈しなかったってことよ。


それから30年、

時代は変わったよなあ。

カラーリングは、

普通に近くなった。

若手のプロレスラーなんか、

みんなやってるもんな。

カラーリングが多様な時代を象徴している。


男のタイツ姿は、

まだそこまでいってないか。