あの夏、

1950年の夏は暑かった。


夏休みの絵日記の宿題で、

その日の最高気温を書き入れる欄があって、

ほとんどが30℃未満だった。

30℃を超えた日は、

片手の指の数を超えたか超えなかったか、

その程度だった記憶がある。


近くに玉川上水から取水した用水が流れていて、

近所の子供はみんなそこへ泳ぎにいった。

男の子はフンドシ一丁の姿で家から出てきた。

ハダシでだよ。

「おまえ、行かないのか?」

1年上の子が僕の格好を見て目をむいた。

麦わら帽子にランニングシャツ、

半ズボンにズック靴という姿の僕は、

黙ってうなずいた。

5歳のときに耳の病気に罹って、

水遊びは禁止されていたし、

呼吸器疾患もあって病弱な子だった。


その僕が独りで遊ぶところは、

用水とは反対方角にある雑木林。

捕虫網の柄を握りしめていた。

独りではなかったな。

その僕を気遣うように、

いつもついてきたのは、その前年、

長姉が嫁いだ先からもらわれてきたジョンだった。

シェパードとシバイヌの血が混じった

ような雑種大型犬だった。


その日もいつもの雑木林に行った。

セミ取りに飽きて、

雑木林の切れ目の原っぱの木陰で、

倒木に腰を降ろした。

蒸し蒸しと暑くて動き回っていたときより、

いっとき汗がダラダラ流れた。

33℃ぐらいあったんじゃないかなあ。

当時の東京都下の農村の趣が残る地域としては、

異常な暑さだったと思うよ。

ジョンが草の間にゴムマリを見つけて、

僕の前までくわてきて置いた。

これで遊ぼう、とでも言うように。

僕はゴムマリを投げた。

ジョンは追ってくわえて戻ってきた。

それを繰り返した。

僕は、

日陰の倒木に腰を下ろしたままで投げ、

ジョンは日盛りの原っぱへ出ていって、

ボールをくわえて戻らなければならない。

途中で、

ジョンの体調を気遣うべきだった。

でも、

僕も熱中していろんな方向へボールを投げた。

ジョンの動きが鈍くなってきた。

よろよろと戻ってきて倒れた。

口を開けたまま、

苦しそうにあえいだ。

「ジョン、どうしたんだ、ジョン!」

僕は立ち上がり、

ジョンのそばに行って屈んだ。

首や、あごの下をさわったが、

とても熱かった。

日射病だ、と悟り、

想定外の出来事に、つかの間、途方に暮れた。

(犬も日射病にかかるんだ)

今で言う熱中症である。

我が家へ飛んで帰った。

変電所に隣接した20戸ほどの国鉄官舎には、

水道が引かれていた。

変電所は官舎1戸分はありそうな

大型の変圧器を冷却するために深井戸を作り、

大量の地下水を汲み上げていた。

その1部が水道水として各官舎へ配されていた。

深いところの地下水だったので、

真夏でも大変冷たかった。


その水道の水を水筒に詰めて、

茶わんを1つ、タオルを1本持って、

ジョンのところへ駆け戻った。

茶わんに水を入れてやると、

ジョンは上体を捻じ曲げて水を飲みだした。

タオルを濡らしてジョンの首筋や、

背中を冷やしてやった。

ジョンは1時間も経たないうちに元気になった。

「ジョン、帰ろうか」

ジョンは僕の先に立って歩いた。


翌年の秋、

ジョンは行方を絶った。

特別の血統種でなければ、

夜は放し飼いにする家が多かった。

数日後、

父が自転車の荷台に、

ジョンのむくろを載せて戻った。

5,6キロ離れた芋畑で息絶えていたという。

野ネズミ退治用の毒まんじゅうを食べたらしい、

ということだった。

2歳とちょっとの儚い命だった。

僕は何日も微熱が止まらなかった。

学校に行っても授業が頭に入らなかった。


体調が戻ったとき、

ジョンは僕の心に甦っていた。


71年経つ今もジョンは健在である。