何かの同業者らしいけれど、

2人の連れがいて、

「こいつ、オケラって渾名だったのよ。こんなに大きくなかったんだ。

 チビでな、細っピーでな。舌が回らなくてな。オモチャにして

 からかったのよ」

と、説明してまたゲラゲラ笑ったの。

(オモチャにしてからかっただと、

こっちは殺されるか、と思ったんだぞ)

そう怒鳴りつけてやりたかったのに、

僕は照れ笑いしている。

「今日はこれから集まりだけどよ。

 今度、飲もうな。積もる話をしようじゃないか。

 電話するよ」

僕はつかの間、立ちすくんでいた。

いじめた記憶ってあんなもんか。

痛みがなかったから美化して、

懐かしい思い出になっているんだ。

あいつ、いや、Kだ。

離れていったKの言った言葉が、

1つ1つ僕の鼓膜でよみがえる。


オケラって渾名はKがつけた。

チビだったよ、

クラスで2番めだったものな。

おくてだったし。

中学を卒業して高校3年の1学期まではチビだった。

156センチあたりだったもの。

でも、それから伸びだして、

大学3年まで伸び続けて177センチになった。

当時としては、

大きかったんだよ。

舌が回らなかったのも事実だった。

ザ行の発音がよくできなかった。

ザ、ゼ、ゾ、は、ダ,デ、ドになる。

国語の時間の朗読で、

10行ぐらい読まされたのかな。

僕の番で(雑巾)は、

(ぞうきん)と発音できないで(どうきん)になる。

ドッと爆笑が起きる。


僕は小学校の卒業時期に我が家が引っ越しをしたので、

中学へ進んだときには学校に友達は1人もいなかった。

まだものが豊かに出まわっていない時代で、

生徒服の下には母が姉たちのお古のブラウスを

僕用に仕立て直してくれたものを着ていた。

白っぽいブラウスだったけれど、

花柄の生地だった。

昼休みに弁当を食べる前に生徒服を脱ぐと、

とたんに、Kが飛んできて、

シャツをつかみ、

「これは何だよう、女か、てめえ」

と、責め立てた。

クラスにKと同一行動をとるのが2人いてね、

どちらもKと同じ小学校の出身だった。


土曜日がきて、お昼で学校は終わる。

母から忘れた買い物を頼まれた。

おから、つまり、卯の花だった。

豆腐屋のつもりで隣の魚屋に入り、

「おからをください」

と、言ったら魚屋のおばさんが、

隣だろ、と。

たまたま通りかかったKらが、

この光景を見ていたのよ。


月曜日から、Kらは僕を見ると、

「おから、おから」

と、囃し立てた。

すると、

みんなが声を合わせて囃し立てる。

昼休みに校庭を歩いていると、

2階の教室から顔を出して、

「おから、おから」

と、囃し立てた。

別のクラスの教室からも、

いっぱい顔が突き出されて、

「おから、おから」

と、合唱した。

そんなことが何度かあって、

2階から囃し立てられるのが嫌で、

校舎に駆け込んだ。

上から大勢の笑いが降ってきた。

僕はチビというだけでなく虚弱な体つきで、

走るとき両腕をバランスを崩したように回す。

上から見ると、

おかしな走り方に見えたんだろうな。

「オケラ、オケラ」

笑い声の中でKの声だけが響いた。

オケラって虫のケラのことで、

前足がシャベルのような作りになっている。

背中をつまんで捕まえると、

その前足をもがくように振り回した。

僕へのお囃し言葉は、

(おから)からオケラに変化した。


Kは泳げない僕を用水に突き落とし、

溺れかけると助けた。

鉄棒をしていて、

下にいる僕に故意に落ちてきたこともあった。

そんなKの陰湿さを目撃して、いじめるなよ、

とたしなめてくれたのは、

別クラスにいた学年の番長だった。

以来、Kは一切のいじめをやめたが、

オケラという僕の渾名は、

高校へ進学するまで生き続けた。


作家になってから、

子ども時代にいじめられた経験がある人たち

10数人に話を聞いたことがある。

同窓会などで再会して、

いじめた者から謝られたケースは2人しかいなかった。

1人は謝罪を要求して相手が渋々応じた。

もう1人は向こうから非を悔いて謝ってきた。

残りのケースは何ごともなかったようにしていたか、

懐かしい昔ばなしのようにいじめを振り返った。

僕の体験を思いあわせて、

そんなもんだろうと思う。


嗜虐的にいじめを行っていた者は、

快感の記憶が勝り懐かしんでしまうのだろう。

いじめられたほうは、

60年70年経っても痛みの記憶として残る。

人生の荒波と闘ってきて、

そんな遠い記憶はとっくに消えている、

と思う人は多いかもしれない。

社会に出て越えてきた荒波の数だけ、

心は鱗で覆われ強くなっているように思える。

でも、

その鱗を1枚1枚剥がしていくと、

現れるのである。

いじめでできた深い傷が、

今すぐにも疼きそうに。