大谷翔平選手がオールスター戦のフアン投票中間発表で、

ナ・リーグDH部門で1位の52万6608票を獲得した。

2位のマルティネスに23万票余りの大差をつけている。

選出されるのはまず間違いない。

マノン監督は反対しないと言っているので、

オールスター戦でも二刀流が見られるかもしれない。


引退したイチローは、

大リーグ1年目から、

フアン投票、選手間投票をあわせ、

10回連続出場という偉業を打ち立てたが、

これからその偉業を追う立場の大谷は、

どのような軌跡を描いていくだろうか。


それは10年15年経ってみなければわからない。

ただ言えることは、

大谷が不世出のスターとしてのオーラを持っている、

ということである。

幼児から100歳長寿者までの

心を捉えて離さないスター性を、

ごく自然に持っている。

性別や、

野球フアンであるかどうかは関係なく、

各層の人々を惹きつけてやまない。


イチローも大スターだった。

しかし、そのスター性はややプロ好みだった。


他に、

大リーグの日本人スター選手だった名を挙げれば、

ゴジラこと松井秀喜、

トルネード投法の野茂英雄は欠かせない。

今でこそ大リーグの日本人選手は何人もいるが、

その道を切り開いたのは、

1995年に近鉄球団からドジャース入りした野茂の

目覚ましい活躍だった。


ところで、

日本のプロ野球のスターたちにとって、

大リーグは夢のまた夢だった1964年に、

南海球団から野球留学というかたちを取り、

大リーグ入りした日本人投手がいる。

彼はアジア人として大リーグで初勝利を上げ、

その翌年にはやはりアジア人として、

二刀流ではなく投手としての打席で初めてのヒットを放った。


僕は全国紙の社会面で、

この日本人投手が上げた初勝利の記事に興奮し、

2勝目を期待して毎日、新聞の社会面と

スポーツ面に目を凝らした。

その時期は東京五輪とダブっていたが、

それよりも2勝目2勝目と待望しているうちに、

シーズンは終わった。

そう言えば、

東京五輪の思いでは、

東洋の魔女たちの活躍と、

マラソンのアベベ以外には何もない。


大リーグ武者修行の日本人投手の話に戻る。

その年は1勝1セーブ。

翌1965年は4勝1敗8セーブ。

20歳、21歳での成績だから、

堂々たるものだった。

体躯も堂々としていて、

当時の大リーガー並みの183センチ、83キロ。

あっ、名前をまだ言わなかったか。

村上雅則投手。

当時、大学留年中の僕は彼より4歳上。

彼の活躍に強烈な刺激を受けて、

とりあえずは、ということで、

怠けて落としていた大量の単位を取得していった。


村上野球留学選手は独りで米国へ渡り、

英語も話せず、

会話辞典を手に会話を覚えていった。

今は巨額の契約金をもらい、

専属の通訳や、トレーナーを付けて

大リーグ入りするだろう。

さて、

サンフランシスコ・ジャイアンツとしては、

村上投手にはずっといてほしかった。

しかし、

彼はおカネよりも南海球団との約束を重んじた。

南海に戻り、9年間在籍し、

阪神、そして日本ハムへ移って、

日本では103勝82敗の成績を残した。

200勝ぐらい言ってよかったかな、と思うが、

小技の日本人打者より、

ビュンビュン振ってくる大リーグの強打者連中を、

きりきり舞いさせるほうが、

性に合っていたのかもしれない。


この村上雅則こそ紛れもなく、

日本人大リーガーのパイオニアである。


巡り巡って2度目の東京五輪。

順調に開催されたとしても、

僕にとっては大谷翔平の大活躍の前には

霞んで見えることだろう。