1976年秋、

僕は「やっとこ探偵」という作品で

第27回小説現代新人賞をいただいた。 

直木賞の受賞はこの4年後になるが、

新人賞受賞後の1年後には

小説専業でやっていけるようになった。


2年後には、

書下ろし長編の依頼が絶えないようになった。

そんな頃に、

僕は新たな長編の構想を練るための自主的缶詰と称して、

下田東急ホテルに2,3泊した。


駆け出し作家の自主的缶詰だから当たり前だが、

自費である。


同ホテルは保険調査員時代に1泊したことがあり、

シチュエーションが気に入っていた。

南東側には磯岩に波が砕け散る豪快な光景が望め、

西側には2,3分も歩けば

鍋田の浜という箱庭のような光景の、

小さな入り江があった。


構想を練るといっても

部屋でぼんやりしているか、

外出してあちこち歩き回って

日が暮れれば海鮮料理の居酒屋へ潜り込んだ。


ホテルのラウンジには10人ぐらいは

かけられそうなカウンターがあって、

2度、昼下がりに行って大作家気取りで

昼酒をちびちび飲んだ。


シーズンオフだったのか、

カウンターはいつも僕1人だった。


ただ、2度めのときは、

途中でドヤドヤと4,5人の男たちが入ってきて、

僕の右手に次々と腰を下ろした。

僕の席は左端のほうだったが、

僕と男たちの間には空席が2つあった。


僕は彼らがきたとき、

視線をやってみんな屈強そうだな、

と一瞬思い、さらに一瞬後、

まさかまさか、と2度見した。

まさかの石原裕次郎さんだった。


僕は顔をカウンターに戻し、

無理に気持ちを落ち着かせて

ちびちび飲み続けた。

ウイスキーの水割りだったのかなあ。

ちびちびのピッチは速まっていたと思う。


僕は裕ちゃんのフアンだった。

高2のときだったかな。

学校サボって「狂った果実」を観にいった。

鮮烈だったな。

近くにいたな。

それまでの主役の俳優は、

銀幕の人で遠かったのよ。

でも、

裕次郎さんは違った。

街角の出会い頭で衝突しそうになって、

おう、悪いな、

と声をかけられたような親しみを持っていた。

それで鮮烈な印象を持ったんだろうね。


当時、映画研究部の部長をしていて

フランス映画にはまっていた僕にとって、

日本映画へ回帰への舵を切らせた作品だった。


高3のときに「幕末太陽傳」を観た。

ヅラが板につかない感じだった。

そのせいもあったが、

フランキー堺とのやりとりが

時代劇にしては大いなる違和感を生じさせて

僕には面白かった。

高校を卒業してまもなく

「嵐を呼ぶ男」を観た。

ドラムス合戦は圧巻だったなあ。

ライブを観ているように、

僕を含めて観客は沸き立った。


「太陽の季節」は、

だいぶ後に観たのかな。

主役じゃなかったから後回しになったのか。


楽曲の「嵐を呼ぶ男」は、

今もってよく歌っているよ。

家人も外出して僕1人になったとき、

車椅子で、

~えヽい面倒だい この辺でノックアウトだい~

などとやってんの。


いずれにしても、

その裕ちゃんが僕の右手の人の3番めにいる。

こっちは落ち着かないのに、

平静を装っている。

裕ちゃんたちの話し声はよく響いていたのに、

内容は覚えていない。


よう、だったか、

ねえ、だったか。

裕次郎さんが僕に声をかけた気配に、

そっちを見ると、

少しカウンターに上体を傾けて

僕に顔を向けていた。

「何やっている人?」

「ものを書いています」

作家と言うには照れがあった。

それだけでは何のことか理解してくれない、

と思い、こう付け加えた。

「小説の新人賞をとっています」

「頑張んなよ」

裕ちゃんはまた仲間との会話に戻ったが、

僕はなおのこと居心地が悪くなって、

伝票にサインしてそそくさと退散した。


ミーハー的に振る舞えば

もっと話をしてくれたかもしれないのに、

陰気な野郎だな、

と思われたかなあ。


1990年代半ばだったか。

小樽に石原裕次郎記念館が

もうオープンしていた頃、

どこの代理店の企画だったか忘れたけれど、

裕次郎フアンの小樽への旅、

といったツアーが何回かにわたって催された。

その何回めかの講演の講師に招かれた。

場所は札幌のホテル。

札幌の観光もやったんだろうね。

ディナーショー的雰囲気での講演だった。

僕の講演は立って動き回り、

パフォーマンスも入れる。


「嵐を呼ぶ男」は熱唱した。


初めあっけにとられ、

途中で手拍子が起こり、

手拍子をしても合わないので

皆さんは笑うしかなく、

歌い終えたときには

爆笑と拍手が渾然と沸き起こった。


終了後、

石原プロの小林正彦専務(当時)が飛んできて、

「いやあ、よかった、面白かったですよ」

と、大いに喜んでくれて少し顔をしかめて、

「時間が短すぎた。30分、

 いや後20分ほしかった」

と、残念がった。


講演にだけ行ったので、

石原裕次郎記念館は見ていない。

数年後、

じっくり見て回る機会があった。

館を出て運河沿いにしばらく歩いて、

下田東急ホテルでの裕ちゃんを偲んだ。


2000年に入って2,3年だったかなあ。

僕は事務所のそばの歩道でケータイを拾った。

交番へ届けるよりも落とした本人に

直接、返してやろうと思い、

事務所スタッフに渡した。

すぐに落とし主と連絡が取れたらしい。

「石原軍団の人ですよ。夕方までには取りに

 くるそうです」

そのとおりに、

石原プロの男性が取りにきて、

高級ウイスキーを置いていった。

俳優陣の1人だったのか、

誰かのマネージャーさんだったのかは

確認できなかったが、

石原プロらしいな、

と思った。


2017年に裕次郎記念館が閉館になった。

そして、

石原プロが解散する。


昭和の大きな岩塊が静かに消える。

寂しいな。

ただ、淋しいな。


昭和よ、裕ちゃんよ。