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本を愛する人を応援するために設立された

一般社団法人文人墨客というところが

年1回刊行している「文人墨客」という

機関誌がある


この機関誌の第6号に

教文館幹部社員のYさんが寄せた

「書店とコロナ禍」と題するエッセイが興味深い


教文館は1885年創業

日本一地価の高いことで知られる

銀座4丁目交差点の一角に店舗を構えている


この教文館の先代社長で2004年に他界された

中村義治さんは書店界の神様という

異名をとった人で

閉店後もシャッター扉を下ろした入口前に

屋台風に雑誌の最新号や

単行本の新刊を積み上げ身じろぎもしないで

夜9時過ぎまで売っていた


銀座8丁目でよく飲むようになった頃

たまに4丁目の教文館の前を通りかかると

屋台で本を売っているおじさんがいて

身じろぎもしないで客を待っていた


真冬だって身じろぎ1つしなかった


いや

目だけはちゃんと往来の人を見ていた


恵まれない境遇の人で

教文館のお情けで本を売らせて

もらっている人だろう

と僕は勝手に想像して哀れを催した


しかし

それからまもなく出版社の人と飲んでいて

たまたま その人の話題になり

教文館社長じきじきの屋台販売だと知って驚愕した


それ以来

夜はその前を通れなくなった

酔っ払った姿を見られたくなかった

恥ずかしいからで

逆に言えばそれだけ尊敬の念を抱いた

ということになる


教文館は単店舗経営にも拘らず

ナショナルチエーン店の

強豪系列店に引けを取ることなく

常に書店売上全国ランキングの

上位に名を連ねていた


中村さんが他界された2004年は

すでに出版不況が始まって7,8年経過した頃で

大波が引いていくような書店の廃業が続いていた


しかし

教文館は経営努力が功を奏して

Yさんのエッセイによれば

「…それでもネットショップの運営や、

 扱う商材の多角化などにより当店は

 なんとか利益を出していた。何より

 先代社長の(中村イズム)とでも呼ぶべき

 通好みの、当店の書店気質を好んでくださる

 お客様に守られていることが大きい」

と安泰であった


そこへコロナ禍がきた

教文館は目に見えて来店客が減ってきた

クラスター発生源は銀座の夜の街

とメディアが盛んに煽っていた


4月7日

緊急事態宣言が発出された

教文館は即日休業を決めた


5月下旬

営業を再開したが

遠のいた客足はなかなか戻らなかった

しかし 教文館は全社を上げて

苦境を脱する努力に取り組み

「全部署がオンライン販売の過程に関与し、

 無駄を最小限にする社内のロジスティック思考も

 刷新された。かなり思い切った改革が、意外と

 すんなり通るのは新型コロナウイルス感染症の

 功罪の(功)の部分と言っていいだろう」

とその実を上げつつあった


ところで 話は戻る

Yさんは中近東を放浪して帰国し

教文館に入社した

Yさんの言によれば

先代社長は

そんな私を面白がって採用してくれたという


一風変わった人だという思いは僕も抱いていた

1994年

僕は海竜社という出版社から

「人生はまじめが勝つ」

という本を出版した


1990年頃から

書店での僕のサイン会は型破りのものになり

音痴な歌を披露しながらのトークを行ってから

サイン会に入った


机を白布を敷いて権威的にサインをする

従来のサイン会を破壊するものだった


海竜社から教文館でサイン会を開いてほしい

という打診があったとき

サイン会場は入り口脇で道に面してやること

客が途切れたらブルーハーツの歌を歌って

客寄せをやること

用意した本が売り切れになるまでやること

を条件にした

中村社長はすぐに応諾されたという


想像以上に型破りなものになった

入り口脇での屋台で行い

客が途切れるとマイク片手に

リンダリンダを歌った

通行人が群がってきた

150冊と記憶しているが

用意した本をすべて売り切って終了した


苦境を脱するには発想の転換が必要だ

中村イズムが染みついたYさんをはじめ

教文館の皆さんはどんな発想が

現状を転換させて新しい局面を拓くかに

心を砕いておられると思う


第3波の襲来を思わせる感染拡大の

徴候が見られるが

教文館の皆さんの実り多き健闘を切に祈りたい