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岩手県の被災地の慰問を開始したのは、
大震災発生の翌々月の
2011年5月からだった。

その5月に訪れた先の1つで、
僕がしばらく言葉を失うほど
衝撃を受けた地は、
大船渡市三陸町越喜来地区だった。

気仙郡三陸町時代の越喜来に、
読み聞かせと講演で2度訪れている。
同町の中心地区で漁港としてもにぎわっていた。

その越喜来がそっくり瓦礫になっていた。
会場だった公民館や、
何人もの利用者が杖を突いたり
車椅子できてくれた養護老人施設は、
外見だけが残り、
内部はがらんどうになっていた。

この地区の死者 行方不明者は、
目立って多かった。

街がなくなり、
すぐそこに見える浜に、
数本ひょろりと立つ松が海風を受けて、
息絶え絶えに枝を揺らすばかりだった。

この前日、
僕は東京を発ち、
夕刻にはまだ大分早い時間に遠野に到着し、
予約した宿がある地区へ向かっていた。
遠野が目的地ではなく、
釜石、大船渡の被災地が目的地だった。
次の日の正午に釜石駅で妻と、
もう1人のボランティアメンバーと落ち合うことになっていた。
妻たちは夜通し車を運転してくることになり、
夜通し狭い車にいるのが嫌な僕は、
新幹線と電車で遠野までやってきたのである。

いきなり、
僕は中年女性に行く手を遮られた。
「景樹さん、どこへ行くの? もし時間があったら、
私たちといっしょにきませんか」
といった内容のことをやや土地の訛りで話しかけられた。
お仲間の女性たちが数人いた。

こういうことである。
女性たちは遠野商店街のメンバーで、
大勢の人達が各地からボランティアとして集り、
社協会館などに宿泊している。
食べるものは冷たいおにぎりが主で、
味噌汁もつかない状態で瓦礫の整理に当たってくれている。

そういうボランティアの人たちのために、
炊き出しのご飯や、のっぺい汁などでおもてなしして、
元気になって貰おうと野外食事会を開いているという。

つまり、
県外からきているボランティアのための、
地元の人たちによるボランティアである。

今日は宿に着けば寝るだけの僕にとっては断りようもない。

半ば拉致ではないか、と内心でぼやきながら、
連れていかれるままに任せた。

遠野社協会館前の広場では総勢で200人前後だろうか。
県外からきているボランティアの人たちと、
おもてなしの地元の人たちが
いくつもの車座を作り
のっぺい汁などの郷土料理に舌鼓を打ちながら、
歓談の真っ最中だった。
アルコール飲料も出ていた。

僕はあちこちの車座をはしごして回ったが、
アフリカからきている黒人の人もいれば、
欧米系の白人の人もいて国際色豊かだった。

そうして、
僕の胸にヒタヒタと寄せててきたものは、
地元のために真心で活動してくれる人たちに
真心でおもてなしをしたい、という
地元の人たちの裸の気持ちの温もりだった。

岩手の人たちは概して寡黙である。
納得できるな。
饒舌で口角泡を飛ばすタイプの人は、
根っからの地元の人にはまずいない。

粘り強い。
これも納得できるな。
ある事情で講演時間に30分以上遅れたことがあった。
到着時間が読めてから、
マネージャーが主催者と連絡をとって
驚いたように僕に言った。
「1人も帰らないで待っていてくれているようです」
会場では盛大な拍手で迎えられた。
待ちかねていたぞ、という好意の拍手だった。

しかし、
岩手県人を評して多くの人が挙げる
そういう性格の底にあるものは、
本物の優しさではないか、と僕は思う。
へつらいや、媚を隠しての優しさではない。
真心を持った人たちには真心でもって応えようとする、
実直なまでの優しさである。

それは権力で何かを押しつけてくる人には、
無言のそっぽで応えるような反骨が秘められた優しさ、
裸の人間に共感できる優しさかもしれない。

それについては、
古代からの歴史的背景による説明がいるけれど、
ここではテーマから外れるのでふれない。

数か月にわたり日本で唯一の地域でありえたのも、
その優しさのたまものだろう。

岩手の親たちは東京にいる子供たちが里帰りすることを、
必死に拒んだという。
県外の人の多くは、
それを我が子が県内初の感染者になれば、
末代までも負の語り草になることを怖れたためではないか、
と見たが、そうではなかった。

我が子を帰省の途中で感染させまい、
感染した我が子によって家族が感染し、
近隣の人に感染が広がったら申し訳が立たない。
これは怖れによるものではなく、
我が子、家族、近隣の人たちへの優しさに根差す、
やむにやまれぬ気持ちのように思える。

岩手県の人たちのそういう気持ちが一体になって、
図らずも奇跡のような感染者ゼロの日々が続いたのである。
優しさゆえの自分のところから感染者を出すまい、
という緊張感は知らずストレスの蓄積になっただろう。

2人お感染者が出たことでその緊張感はほぐれて、
これからは数か月も感染者がゼロを続けた
実績による感染防止策が岩手県人を守るのではないか。

このような岩手県においては、
2人の初感染者に対する差別は思いもよらないことだろう。
ひたすら1日も早い回復を祈るに違いない。