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戦後
シベリアに抑留されていた
元日本兵の人達の帰還は
1947年(昭和22)に始まり
1956年(昭和31)にかけて行われた

1952年(昭和27)に
兄と一緒の部隊の生き残りの
2人が帰還し
兄が戦死した際の状況が確認されて
それまで行方不明者扱いだった
兄の戦死公報がもたらされた

兄は敗走中の8月23日夜半(推定)
ソ連軍の戦車砲弾の直撃を受けて
戦死した

8月15日の終戦を知らず
戦い続けて旧満州の荒野に
四散した屍を晒さなければならなかった


それまで兄の生存を
信じて疑わなかった僕は
その思いを断ち切ることができなかった

同じ年のこと
戦没者遺族慰安の催しが
神田共立講堂で催される
という通知がきた

公開前の映画である
「私はシベリヤの捕虜だった」
が上映されるとのこと

両親も姉達も
観にいく気持ちにはなれなかった
旧満州の荒野での戦死が確認され
シベリアに抑留されていなかった
ことが明らかになったのに

そんな映画を観てもしょうがない

ということだったのだろう

僕は1人で会場の
神田共立講堂へ赴いた

映画として優れた作品だったか
どうかはともかくとして
僕の心に重いものを
ドシッと落とした映画だった

それぞれ前職の異なる
仲よしの元日本兵5人が
狂言回し役として
シベリアの捕虜生活の過酷さが描かれる

極寒の原生林伐採の強制労働で
大木の下敷きになり命を落とす仲間

自動小銃の銃声を背に
荒野へ脱出して行方を絶った仲間

空腹に耐えかね
野草を求めて禁制区に入り込んで
銃殺された仲間

5人組は2人きりになった

ようやく帰還の順番がきたが
日本へ帰国したら
民主化運動をするよう迫られて
1人は誓約せずに
帰還船を目の前にして留め置かれる

1人だけが偽りの誓約をして
タラップを上っていく

細かい部分は忘れても
ストーリーの大筋は今も記憶に残る

観終わった後
僕はオイオイ泣いて
しばらくは席を立てなかった

大丈夫?

と  大人の何人かに声をかけられた

悲しかったわけではない

シベリアに抑留されたら
もう1つの
ある意味ではもっと過酷な
戦争を経験しなければならなかった

兄ちゃん
1つだけの戦争でよかったな

そんな思いで泣いたのだ

今もそう思っている

この映画は今はDVD で市販されている

でも
僕はこのDVD を観ようとは
1度も思ったことはない

兄生存への思いを絶たれることになった
当時の感受性を
とても大事にしているからだ

ただ
今の若い人達には
是非 観て貰いたい