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旧制商業学校を卒業した兄は
2年で修了する
大蔵省税務講習所に入所した

同講習所は
戦後の税務大学校の前身で
1941年春に
税務行政の人材育成のために開設された

兄が入所したのは
1943年4月のことで
当時 同講習所は疎開してのことなのか
千葉県成田市か
その隣接地域にあった

以上の事実は
大人になって自分で調べたり
父母に訊いて確認したことである


これからが僕の記憶になる

僕と父は寮生活をしている兄と
同講習所内の面接所で会った

テーブルと椅子だけの簡素な部屋だった
母が作ったぼた餅の荷を父が広げて
3人で食べた
兄は目を輝かせてうまそうに食べた

でも
いくら思い出そうとしても
そのとき
僕がぼた餅を食べた記憶は出てこない

兄は会ってすぐに
上衣のポケットからキャラメルを2,3粒取り出し
僕にくれた

僕はそれをしゃぶるのに夢中で
ぼた餅には心を捉われなかったのだろう

父と兄が何を話していたかは
まったく覚えていない

次の僕の記憶は
成田山新勝寺の境内

行き交う人でにぎわう参道を
父に手を引かれ歩いている光景だった
途中で 父は僕を背負った

無論 場所が成田山新勝寺の境内だったことは
小学高学年の頃に父か母に訊いて知った

その頃の僕には幼児の鮮烈な記憶について
親に確認する癖があった

両側にいろんな品々を売る露店が並んでいた
父の背中の僕は玩具の露店に掲げられていた
赤鬼のお面を指さして
「あれ、あれ、あれ…」
と うるさかったそうである

買って貰った赤鬼のお面をすぐにかぶった
ことはよく覚えている

僕の顔には大きすぎたっけ

その夜
母と一緒に寝ていた僕は
夜中の目覚めて押し入れの襖戸を見て
烈しい恐怖に襲われ火がついたように泣きだした

常夜灯の薄ぼんやりとした明かりに浮かびあがる
赤鬼のお面に反応してのことである

寝る前に
僕があそこへ提げてと頼んだものだという

大蔵省税務講習所に父に連れられていったのは
後に父に確かめると 1943年初秋のことだった
僕が3歳半前後のときである

翌年の秋
兄は卒業を半年繰り上げて
東京都下の小金井町(現小金井市」の
鉄道官舎の我が家に戻ってきた

一応 渋谷税務署勤務の辞令が下りていたが
繰り上げ卒業の本当の目的は
兵隊として召集するためだった

すでに厳しい戦局だった

兄が帰宅して何日か経って
官舎から2キロ余り離れた地にある
中島飛行機武蔵製作所が
B29の大編隊による昼間爆撃を受けた

サイパン島が陥落して
初のB29による本土空襲だった

絶え間なく」ドカンドカンと爆撃音が轟いてきて
戸障子がかすかに振動した

翌1945年3月上旬
兄は数か月の税務署勤務を経て出征した

戦争が終わっても還ることはなかった

そのあたりの事情は
数日前のブログに書いている

事実は終戦の8月15日の約1週間後に
旧満州の地で戦死していたが
行方不明扱いになり
正式に戦死公報が発行されたのは
1952年のことだった

終戦直後にすでに
父は行方不明扱いは99%戦死だ
と覚悟していたようだが
母は兄の生還に
一縷より強い希望をつないでいた

僕は戦死公報がくる前まで
シベリアに抑留されていて
いつか帰ってくる と半ば以上信じていた

小学校入学を間近にした僕に
母が自分に言い聞かせるように

「あなたの兄ちゃんはシベリアに抑留されている。
 きっと帰ってくるよ」

と 断言したことがあったからである

終戦の翌年1946年4月に
僕は小学校に入学したが
その年の夏休みに物置を覗いて
鍔がついた頑丈な造りの木刀を見つけた
剣道をやっていた兄が
よく庭へ出て素振りで使っていたものである

虚弱児的だった僕が持つとズシリと重かった
それを握って僕は庭で素振りをやり
ときに上段に構えて
振り下ろしながら歩を進めた

前方にやはり木刀を構えて笑っている兄がいた
僕が進むと後退する
僕が後退すると進んでくる

振り下ろすと
兄は優しく自分の木刀で受けた
無音だった

木刀を握って兄に会う
それが僕の日課になった

僕の素振りは木刀に振り回されて
見るにたえなかったろう
進んでも後退しても振り下ろすたびに
よろけていたに違いない

「やめなさい、危ないわよ」
見るたびに母は制止した

その制止には他の
特別な意味があった

父は何も言わずに黙って見ていた

ある朝
物置から木刀を取り出すと
刀身の部分が半分になっていた

父がノコギリで切り落とし
軽くしてくれたのである

素振りをすると確かに楽だった

しかし
上段に構えて進んでも後退しても
兄は現れなかった

その日限りで
僕は木刀を振らなくなっていた

1952年春
我が家は官舎を出て隣接する
武蔵野市に建てた新居に越した

そのおり
刀身の部分を半分にされた木刀を探したが
見あたらなかった

見つからないで胸をなでおろした

母にはついに確認できずに逝かれたが
その木刀は母が内緒で処分した
のだと思う
とても辛い形見だったに違いなかった

兄が現れなくなった木刀は
僕にとっても辛い~


辛い思い出の品だった