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僕が小説志望に
活路を見出そうとしたのは
28歳のときだ
初応募は29歳

小説誌や 
文芸誌に掲載されている
受賞作を読むたびに
えっ こんなんでいいの
と 拍子抜けするほどだった

こんなんならいつでも書けるな
と 思い込んだからだ

つまりは傲慢極まる思い込みだ
でも
傑作秀作を書くには
この傲慢さがないと叶わない

誤解されないよう付言すれば
この傲慢さは
人間性とは無縁のものなのだ

心の深部で眠っている才能が
刺激を受けて覚醒しかける
ときに見せる
傲慢さなのだ

すべての人それぞれに
持って生まれた資質が備わっている
それが才能というものだ
ただ その才能は
外からの刺激に反応して
勘違いして目覚めることがある

小説の編集者が
落選した応募者の作品を読み直し
受賞作品と比べた
「私の作品のほうが受賞者より
 遥かに優れている」
という指摘が当の本人からあったためだ

結果は月とスッポン以上に差があった
応募先品は下読みの人が読めば
10枚も読み進めないうちに
Cの籠「問題なく落選」に投げ込まれる
レベルのものに過ぎなかった

こういう人が
かなりの数で応募してくるのが
懸賞小説の常である
そして
この人達が懸賞小説の闇を作る
何度応募して落ちても
自分の才能を認められない人が
世の主流を形成している
と思い込み
自分の応募作品を
画期的な作品と信じて疑わない

僕も初応募のときは
この作品は世に衝撃を与えるだろう
と 頑なに信じていた

結果は2時予選通過で終わった
愕然としたが
それなら受賞できる
力量をつけていこう
と 修正 その努力に務めた

受賞まで7年かかったが
その間の努力が
僕を懸賞小説の闇に
ドップリ浸すのを防いでくれた

創作の世界においては
心の深部での傲慢は必要である
才能を引っ張る傲慢さがなければ
世に認められる作品は生まれない

そして
この傲慢さを維持できる人は
自分の作品を客観視できる
能力を秘めている

傲慢にして傲慢にあらず
言い換えれば
もっとも傲慢な状態が
創作活動には欠かせない

心の深部は厄介な矛盾に満ちている

この領域で傲慢な人ほど
実生活では謙虚な人が多い