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太宰治の作品は
あらかた読んでいるが
「人間失格」は
中学生のときに
変な読み方をしてしまって
そのせいか
あまり好きな作品にはならなかった。
なぜかは後のほうに譲るとして
いいタイトルだぜ これは。

僕らが子供の頃は
一般には
作家はろくでもない人種と思われていた。
三文文士と揶揄され
昼間からいかがわしいところで
呑んだくれている連中だ と。
糞真面目な文士もいたようだけれど
羨望の対象にはなり得なかった。

いいタイトルだ と言ったのは
作家になったら人間失格じゃないか
と 中学生の僕が思ったから。

小学3年から4年にかけて
僕は三鷹駅の南口からほど近い
耳鼻科医院に通っていた。
当時
1つ立川駅寄りの武蔵境が最寄りの
国鉄官舎に住んでいた。
住所は現小金井市だったけど
まだ東小金井駅はなく
武蔵小金井駅より
武蔵境のほうが近かったのよ。

ある日
学校から帰ると
官舎の十字の通用路で
僕の母を含む主婦たちが輪を作って立ち
世間話に熱中していた。
太宰治
の名が飛び出したので
僕はすぐにその世間話のテーマに納得がいった。

その朝の朝刊だったと思うが
社会面をほぼ埋める感じで
太宰が愛人と玉川上水に入水した事件が報じられた。
母を含めてみんな日頃
太宰の作品を読むようなタイプではなかった。
ただ みんな事件前から
太宰治のことは知っていた。

旧制高等女学校出身で
当時 立川市役所に勤務していた長姉は
終戦の年に20歳で戦死した兄の影響で
やや多感な文学少女風だった。
図書館で借りた太宰治の著書を持ち帰り
それのどこかに載っていた太宰の写真を見て
母が
「ああ、この人、知ってるよ!」
と 母が叫んだことがあった。

官舎の主婦たちは二駅先の吉祥寺より
一駅先の三鷹にある
商店街や マーケットに
買い物にいくためもあったが
三鷹の車庫構内にあった
国鉄労働組合直営の購買部に
頻繁に買い物に出かけていた。

母も含めて
その主婦たちの半ばは
太宰治を見ていたんじゃないかな。
商店街じゃ有名な人だったのよ。
当時としては歩いていただけで
独特のオーラを全身から発し
異彩を放っていたもの。
目撃した主婦から話を聞けば
目撃しなかった主婦も
ねえねえ どんな人
って興味を持つだろ。

わが国鉄官舎では超有名人だったのさ。
女たらしということで
主婦たちにはとりわけの関心があったんだろうね。
僕でさえ名前は知っていたもの。

学校から帰ると
ほぼ1日おきぐらいに
三鷹駅南口から2,3分ほどの
耳鼻科医院へ通った。
結果として僕の耳は完治せず
やや難聴という後遺症が残った。

それはともかく
僕も生の太宰治を2回目撃したんだよ。
南口を降りるとね
中央通りの商店街入口と
10メートルも離れていたかなあ。
左に中央通りと並行していた裏通りがあった。
その入り口の左角が飲み屋さんだった。
庇屋根を広く張り出させて
半ば屋台のような造りだった。

「あっ、いた」
と 僕は駅舎から出てすぐに立ち止まって口走った。
長髪の特徴的な横顔を見せて
彼はジャンパーを肩にひっかけ
コップの酒を口に運び
盛んに気炎を上げている風だった。
写真で見知った顔にまず間違いなかった。
まだ午後4時にはなっていなかったはずだが
その店は僕が三鷹駅を出る頃には
いつも開いていて客がいた。

駅舎のすぐ傍らで新聞や
週刊誌を売っていたおばさんが
僕の視線の先を見て
「太宰治さんね」
と 笑った。
僕はしばらく見ていた。
そばにいる人たちは連れなのか
店の常連なのかは解らない。

その人たちにはないオーラが
小学生の僕にも感じられた。

次に彼を見たのは
それからひと月も経っていなかったと思う。
玉川上水は北から南へ斜めに
三鷹駅の下を通っていた。
当時の南口はその玉川上水を
丈夫な分厚い板材で覆っていた
と 記憶している。
左の欄干だけ南口の左端にあって
それから先はむき出しの
急流の玉川上水だった。
その川面は盛り上がりうねっていた。

耳鼻科医院は線路沿いの道を
武蔵境寄りに16,70メートルも歩いて
左折した道沿いにあった。
左折しなければすぐに
長い跨線橋の登り口に出る。
太宰がよくその跨線橋の中ほどで
夕陽を見ていたことで知られているが
そのことを知ったのは高校生になってからである。

治療をして貰って耳鼻科医院を出て
線路沿いの道に出てすぐに
向こうからやってくる彼を認めた。
僕の足は自然にゆっくりになった。
彼は着流しで下駄をはいていた。
その下駄を少し引きずるようにして歩いてくる。
小学3年の僕は虚弱児的体格で
その僕から見ると彼は巨人だった。
その瞬間は殆ど立ち止まっていた
僕には目もくれず
彼はすれ違っていった。
その鬱々とした視線の先にあったものは
白昼夢のような厭世的世界ではなかったか
と 後年の僕は思うことがあった。

中学から高校1年ぐらいまで
僕はよく太宰の作品を読んだ。
「斜陽」を読んだときは
地の文のごくさり気ない心理的な描写に
自分と重ねられるところを探している自分に気づいた。

何でそんな読み方をしたのだろう。
太宰の作品に惹かれながら
僕は太宰を嫌うほどではないが
好きではない。
読めば読むほどフアンではないぞ
と 気負ったような気がする。

ところで
僕がすすめる太宰の作品は以下の通りである。


「津軽」
「ヴィヨンの妻」
「トカトントン」
「桜桃」


もし読んでいない人は
映画を観る前に1作でも読んでほしい。