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僕の時代は
小説担当の編集者に懇意の者がいれば
原稿を読んで貰い
秀作であれば掲載になることもあった、
職を転々としてきた僕には
出版の世界に手がかりがない。
新人賞と称する懸賞小説に応募し
受賞するしか道はなかった。
受賞するまで7年。
これが長い道のりだった
かどうかは知らない。
ただ 苦節10年 20年が実り
受賞に輝いた人もいる。

そういう人で
芥川賞 直木賞の栄冠を獲得し
流行作家になった人もいる。
故人の藤沢周平さんも
その1人だろう。

処女作が新人賞を受賞
その作品が芥川賞に選ばれた人もいる。
ありあまる才能があって
運も祝福せざるを得なかったのかな。

懸賞小説に応募する人って
数回応募して1次予選にも引っかからなかったら
大体あきらめる。
同じ小説を時期をずらして
他の懸賞小説の賞へ応募して
10回以上という人もいるけれど
やはり いずれあきらめる。

2次予選以上に残ったことがある
と それを励みにして根強く続ける人もいる。
そのなかから苦節ン10年で受賞する人も出てくる。

問題は何度応募しても
箸にも棒にもかからない作品なのに
本人は傑作のつもりで
いずれは受賞すると思いこんでいる人である。
応募作品の下読みをしている人の話によると
約半分は1,2枚読んだだけで
才能ゼロの作品らしい。
編集部に問い合わせしてくる人の殆どは
そういう人からだという。

なぜ俺の作品が最終候補作にもならないんだ

ということである。

ここから懸賞小説の闇が始まる。

新人賞を受賞し
新進作家気取り(まだ早い)で
作家や 出版社の人が頻繁に出没する
新宿の飲み屋街を飲み歩き始めた頃のことである。

路地の出口で
身なりの乱れた中年男に声をかけられた。

お前、○○○○だよな?

僕の筆名だった。

お前、俺の小説パクったろ

そいつはいきなり
僕の胸ぐらをつかんで
恨みつらみを速射砲のように
言い募った。

1応募者に過ぎない僕が
同じく1応募者に過ぎないお宅の
原稿をどうやって読むんだよ

多くの通行人を意識して
僕はあえて大声で反論した。
通行人が寄ってきたので
彼は怯んで僕を突き放すと

許さねえからな

と 捨て台詞を吐いて姿を消した。

このときに
僕は懸賞小説がもたらす闇を実感した。

直木賞はまだ受賞前だったが
新人賞を受賞して
1年後には作家専業になっていた。
小説雑誌に掲載された短編小説に対し
どこで僕の家の電話番号を知ったものか
多分50代にはなっていると思われる
女性から電話がかかってきた。

登場人物の○○子は私がモデルでしょう
ストーリーは私が□□新人賞に応募した小説のものを
そのまま盗んだでしょ

以上の内容のことを延々と訴え続けた。

私はノーベル文学賞を貰う宿命にあるんです

とも のたまうた。

新人賞の闇の底で悶えのたうっている
女性のイメージが浮かんだ。
自分は才能に恵まれた人間だ
と 本気で思いこんでいる。
応募した作品は傑作だという自信も持っている。

その自分が受賞できないのは
出版社が何かを策したためだ
受賞した奴に盗み読みされたに違いない

新人賞の闇に浸ると
そのように思考が著しく偏り
その闇が醸成する
病的な回路から脱出できなくなる。

いついつまでに
某小説誌に発表した短編は
私○○○○の盗作であることを
A新聞に告白せよ

といった内容の手紙が配達されたこともある。

そういう懸賞小説の闇に毒された
人たちからの接触が途絶えたのは
直木賞受賞後である。
敷居が高いということになったのか。

「京都アニメーション大賞」は
懸賞小説の賞の1つである。
大賞に輝けば作品はアニメ化と
文庫化が約束される。
ジャンルはほぼライトノベルだろうか。

いずれにしても
今時の若い人には
魅力的な賞に違いない。

青葉真司容疑者は
自分の小説をパクってアニメにした
として京都アニメーションを恨み
犠牲者35人を出すという放火を行ったとされる。

懸賞小説の闇に取り込まれ
闇から躍りあがったときは
最悪の悪魔と化していた。

しかし  僕は
青葉容疑者をこの賞の持つ深い闇に取り込まれ
人間性を最凶のかたちにゆがめられた
と見てはいない。
人間性を大きくゆがめていた人間が
たまたまこの賞に応募し
受賞できなかったことを逆恨みし
償うことが不可能な凶行に及んだのである。

そうでなければ
あまたの懸賞小説が持つ闇に浸り
少しばかり奇妙な行動に及んだ
作家志望者たちが可哀想である。

いずれ闇から抜けて
それぞれの道を見つけて
それぞれに
自分らしい人生を築いたはずだから。

35人の犠牲者の方々のご冥福を改めて祈る。