_var_mobile_Media_DCIM_103APPLE_IMG_3299.JPG
14歳という年齢は

水泳競技に限らず

世界記録のレベルに届くかどうかはともかく

記録がぐいぐい伸びる年頃かもしれない。


ただ やはり 完成への節目の1つに過ぎない。


この年に誰もが仰天する大記録で

五輪競泳の掉尾を飾る

1500メートル自由形で優勝したら

その後の人生に

どのような影響を及ぼすだろうか。


14歳は昔も今も

メンタルなものに自分では制御できないほどに

大きく支配される。


少年の名は北村久寿雄。

それまでのオリンピック記録を

一気に40秒近くも縮める19分12秒4で優勝した。

無論

五輪競泳世界最年少金メダリストでもあった。



ちなみに

同五輪の日本競泳チームは

全6種目制覇が合言葉であったように

史上最強チームだった。

400メートル自由形の優勝だけは逃したが

残り5種目は完勝だった。


日本は軍部ファシズムに向かい始めていた。

日本競泳陣の大活躍は

まさに国威発揚の模範となった。


そういう十字架を背負わされながら

どこへ行っても賞賛の的になる一方で

妬み嫉みの矢も飛んでくる。

世間とはそういうもの。

                                                                                                                

14歳の北村少年のメンタルはどう対応したか。


北村少年は1浪したものの

難関の第3高等学校に進学した。

そして

競泳の世界から足を洗った。

これは実に賢明な選択だった。

本来の学業で将来を築く。


競泳を続ければ

更に記録を伸ばしたかもしれない。

14歳での活躍が頂点だったかもしれない。


それよりの学業で実を立てよう

と 難関の旧制高校に合格したのである。


どこからも異議が出ない選択だった。


北村少年のメンタルは大変強かった

ということに他ならない。


さらに

東京帝国大学に学び

卒業して労働省に入省した。


その後の履歴も輝かしいが

このブログのテーマとは関係ないので割愛する。


かっての北村少年は

14歳というメンタルの壁を

難なく乗り越えた。


このことには

素晴らしい価値がある。


岩崎恭子さんは

1992年のバルセロナ五輪で

女子200メートル自由形で優勝した。

言うまでもなく

今でも競泳史上最年少金メダリストである。


まだ14歳の誕生日を迎えて6日目のことだった。


北村少年は1500メートル自由形での優勝を

大きく期待されていたが

岩崎さんは入賞さえすれば

期待に応えることになった。

予選は2位。


ところが本番の決勝では

まさかの世界記録での優勝。

岩崎さんにとって世界が一変し

帰国してからの称賛の嵐は

傷つきやすい少女にとって戸惑うだけだったろう。

全種目制覇がかかった史上最強のチームの一員

というのならまだしも

岩崎さんは日本チームの英雄になってしまったのである。


金メダルなんか貰わなければよかった。


そんな気持ちになっていた頃

心ない妬み嫉みの狙い撃ちにあった。


今までで最高の幸せです!


受賞の喜びの言葉を逆手に取り

14歳で何が解るの

と いったとげとげした言葉があちこちから飛んでくる。


岩崎さんのメンタルは

荒波に翻弄されるように揺さぶられ続けた。


岩崎さんは傷ついた心を

丸くなって抱きかかえるようにして閉ざす

長い日々を経験しなければならなかった。

その間に五輪は2大会を経験したが

共にメダルとは無縁だった。


しかし やはり

岩崎さんは不屈のメンタルを養っていた。

20歳で競泳から引退して学業に勤しみ

2002年 アメリカのミッションビエホに海外指導

者研究者として留学した。


今では一児の母でもある。

大きな壁を乗り越えてきた

岩崎さんの今後に大いに期待したい。