家康は
 この言葉の後に続けて
 
 急ぐべからず。
 不自由を常に思えば不足なし。

 と続けている。
 急ぐべからず…
 はテンポが速い今の世の中では
 家康在世時より心に銘記すべきだろう。

 しかし

 不自由を常と思えば不足なし。

 はどうだろう。
 今の人は家康が活躍していた時代と違い
 豊かな世の中で育っている。
 不自由は常ではなく
 むしろ 自由が常である。
 不自由を常だと思えるわけがない。

 となると
 何をもって重荷とするだろうか。
 
 1つはストレスではなかろうか。
 現代社会は現代人にとって
 ストレスがかかりやすい。
 必然的に現代人の心は病みやすい。
 それは大変な重荷であろう。

 その重荷の要因とも関係するが
 義務 責任も重荷だろう。
 
 戦国時代や
 幕藩体制下の人々も
 それぞれに義務と責任を負っていただろう。
 たとえば
 百姓にとって年貢を納めるのは
 百姓の家に生まれれば
 それは義務であり責任であると
 当たり前に受け入れた。

 暴虐な領主によって
 常識はずれな高率の年貢を課されて
 その苛斂誅求な取り立てにたまりかね
 一揆を起こすこともあったが
 多くは従順にその義務と責任を果たした。

 自由を享受している現代人は
 義務と責任を窮屈に感じ
 重荷として受け止めているのではないか。
 何とかしてその義務と責任を重荷にせずに
 楽しく働いて充実しながら果たしたい。

 そこに起業の夢が生まれる。
 自由奔放に自分を出せる想像の世界へ行きたい
 という夢が膨らむ。

 組織に残る人には
 出世街道の勝者になろうという野望が生まれる。
 野望もまた夢である。

 つまり
 現代人にとってそれぞれに描く夢が重荷なのである。
 夢は重荷でないという声も上がる。

 夢を実現する人は少数派であろう。
 実現できずに終わる多数派にとって
 夢は中途で重荷になるかもしれない。

 その重荷をおろし修正して新たな夢を描くのもいい。
 あるいは都会の片隅で倹しく生きる
 ことに幸せを感じる方向に行くのもいい。

 現代人にとっての重荷は夢である。
 その夢を変化させて重荷でなくしていくのもいい。
 それぞれの人生で夢はいかようにも変幻させられる。


 きみにとって問題は
 夢として何を重荷にするかなのである。
 その重荷がそのままに
 あるいは
 背負っていく過程で変化して実現し
 きみの人生を豊かに彩る。

 真剣に重荷を負うことだ。