15年前に、「シアワセカケラ」という勝手に作った言葉ですが、曲がありまして。
「幸せ」はどこにあるんだろう、 実は手の中にあったんじゃないか、
ずっとそこに咲いていたのに、誰かが育ててくれていたのに、
見えず、踏みつけていることも知らず、
「幸せ」はどこにあるんだろう、 実は手の中にあったんじゃないか、
ずっとそこに咲いていたのに、誰かが育ててくれていたのに、
見えず、踏みつけていることも知らず、
不幸そうな顔をしていた10代の自分には気付けなかったことを、
これから見つけていきたいと、曲 にしたのですが、
これが、僕のその後もよく曲に出てくる「シアワセ」シリーズの第1弾になったわけです。 笑
これが、僕のその後もよく曲に出てくる「シアワセ」シリーズの第1弾になったわけです。 笑
この曲がなかったら、そもそも作曲家にはなっていないかもしれないのですが、
先週、15年前にこの曲を作るきっかけをくれた北海道枝幸町にAo-Neko、川島葵と、バイオリンのあさいまりと3人で行ってきました。

15年前のきっかけは、オホーツク海が見渡せる展望閣の管理人の方からの手紙でした。
その手紙には
「17年間この場所で働いていますが、この景色に一度だって飽きたことがありません。
ただ、定年を迎える前に一度でいいから、ここで生演奏を聴くのが夢でした」と書いてあり、
先週、15年前にこの曲を作るきっかけをくれた北海道枝幸町にAo-Neko、川島葵と、バイオリンのあさいまりと3人で行ってきました。
15年前のきっかけは、オホーツク海が見渡せる展望閣の管理人の方からの手紙でした。
その手紙には
「17年間この場所で働いていますが、この景色に一度だって飽きたことがありません。
ただ、定年を迎える前に一度でいいから、ここで生演奏を聴くのが夢でした」と書いてあり、
僕と葵さんとコーラスの3人で行きました。
行って見たら、景色も食べ物も最高でしたが、その場所にいた人たちがとても素敵で、温かくて、
行って見たら、景色も食べ物も最高でしたが、その場所にいた人たちがとても素敵で、温かくて、
大阪出身で、東京に住んでいた僕には経験したことのない時間で、
でも、あの時作った曲を、枝幸のみんながまだ歌ってくれているんです。
当時出会った人も、一番最初に、まだお母さんのお腹の中にいた子も歌ってくれていて。
実は、2008年にもAo-Nekoでコンサートに行ったのですが、
今回は、そのVoCEが10周年コンサートを行うというので、行ってきました。
せっかくだから日本語の曲を作ろうと、作ったのが「シアワセカケラ」です。
時が巡って、いろんなことが変わって、別れもたくさんあって、、
でも、あの時作った曲を、枝幸のみんながまだ歌ってくれているんです。
当時出会った人も、一番最初に、まだお母さんのお腹の中にいた子も歌ってくれていて。
実は、2008年にもAo-Nekoでコンサートに行ったのですが、
その時、町で一緒に歌うコーラス隊を募集し参加してくれました。
その方達が中心となってVoCEというグループができ、
今も子供から年配の方まで一緒になってみんなで歌ってくれているんです。
今回は、そのVoCEが10周年コンサートを行うというので、行ってきました。
枝幸のみんなに感謝を込めて、
今回だけの「シアワセカケラ」の3番を作っていき一緒に演奏しました。
お客さんが泣いてくれる光景は今まで見たことがあっても、
自分が演奏して、歌ってくれている人たちが泣いてくれているなんて、
中々無いもので、
一瞬の時間でしたが、一生忘れることはないと思います。
あの時、曲を作るきっかけをくれて、
今という時へと運んでくれて、
ありがとう枝幸。