8月6日、今年で4回目となる広島愛の川プロジェクト
たくさんの方々の協力のもと、無事終えることができました。

はだしのゲンの作者、中沢啓治さんが晩年に遺した詩、これを僕が中沢さん奥様から預かったのが2013年。
あれから5年。

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今年は、駆けつけてくれた手嶌葵さんとCHEMISTRY堂珍嘉邦さんの独唱に始まり、
子供達の朗読から大合唱まで、たった数十分の歌が、時間が止まっていたような長い1日でした。


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豪雨災害で、川によって被害を受けた方がたくさんいて、7月も練習どころではなくなり、はたして、今、川のうたをやって良いのか、本当に悩みました。

でも、参加者の方々の安否確認をしながら連絡を取る中で、僕が思っていた以上にみんなが強い思いを持って参加してくれていたことがわかりました。

自宅が被害に遭い、それでも避難先から練習に駆けつけてくれた方もいて、中沢さんが、最後に遺した灯火を消すわけにはいかない、そんな思いを強く感じ、僕も改めて詩に向き合いました。

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 「愛を浮かべて川流れ 水の都の広島で 語ろうよ 川に向かって 怒り 悲しみ 優しさを ・・ 」


でも、

「あの川を愛なんて呼べない、地獄の川だったんだよ?」

そう言っていた被爆者の方を思い出しました。


でも中沢さんは、その川を、人生の最期に「愛の川」と書き遺した。


葛藤はあったはず。


死体で埋まった地獄の川が脳裏をよぎるのに、「愛の川」と呼んだのは、

70年の時を経て深い悲しみから、次の未来へ希望を託そうとしたから

きっとそうですよね。



だから、、
この詩は、その思いは、
こんな状況だからこそ、生きている僕たちが繋がなければ、そう思えました。


39年の人生しか生きていない僕が、戦争も原爆も知らない僕がやっていることが、
正しいのか、意味があるのかなんて、正直わからないけど、

託された思いを、繋いで行ったその先に、
答えはきっとあって、

たった4年でも年を重ねるごとに少しづつ、その答えが見えてきている気がします。



最初は、僕しか言えなかった詩の思いを、

僕がいない時にも同じように伝えてくれる人がいたり、

最初に歌ってくれた時に小学生だった子が、もう高校生になって小さい子に教えてくれている姿を見たり、

小学生なのに裏方に回り荷物を運んでくれる子が現れたり、

英語を習ったことがないのに、詩の朗読の英訳に手を上げてくれた子の
練習しすぎて書き込みだらけメモを見たり、


今年、親が亡くなられたのに、そのことは一言も言わず、その翌週も顔にも出さず
ひたすら一年間準備し続けてくれた実行委員の方がいたり、



泣いちゃいますよね。



ありがとうございます。


広島のみなさん。


僕も頑張りますね。