「戻駕色相肩」を新春浅草歌舞伎で上演しておりました。プログラムを買ってもそこには書いてないおはなしをひとつ。

常磐津の中でも古い部類の曲で天明8年(1788年)に初演されておりますが、曲の作りもおおらかで節回しも古めかしく、江戸の浄瑠璃の風情も十分に取り入れた作曲になっていて当時の洒落具合が色濃い曲です。

大まかな筋は、大阪の駕籠かきと江戸の駕籠かきと禿との三人で廓の話をしますが、実は駕籠かきの二人は後にぶっかえって正体を表すと真柴久吉と石川五右衛門であったという、観ている方が仰け反るくらいのめちゃくちゃなストーリーで、こういうぶっ飛んだ話が格好良くまとめられているところに歌舞伎舞踊の醍醐味や面白さが在りますね。

登場人物は
吾妻の与四郎(実ハ真柴久吉)
浪花の次郎作(実ハ石川五右衛門)
禿たより
の三人。
二人の駕籠かきがお互いの色事(いろごと)の経験談を話すのですが…


与「まず俺が情事(いろごと)と言うは 江戸町でなし二丁目でなし 角町京町河岸でなし
次「さうして何処だね
与「恥かし乍ら河豚汁よ
次「鉄砲だね
与「あやまるじゃねえか 問はれて云ふも恥ずかしいが 広袖であらうが 逢ひたいと云ふ日にゃァ闇雲よ 雷門にも柳橋にも 猪牙(ちょき)も四つ手も多けれど 奴を思えば日和下駄で かます煙草入れをぽんと叩いて ずっと駆出す しょうがにゃあ


さて、この台詞のやり取り、聞き流していても耳にリズムの心地良いものですが、意味を考えてみましょう。
与四郎が言っている街の名前は吉原の町の通りの名前。上等の見世が並ぶ町の名前を次から次へと挙げては「〜でなし」と否定しています。
「そうしてどこだね?」の質問には「恥かし乍ら河豚汁よ」との答え。そこへ次郎作は「鉄砲だね」と突っ込みます。
「鉄砲見世」は当時吉原の中でも最下級の店をひっくるめて指す言葉で、「河豚汁」も同じ意味ですが、要するに鉄砲も河豚も「当たると死ぬ」から。
鉄砲見世と呼ばれた店は下級の遊女が集められたところで、病気持ちの遊女も多く、病気をもらって帰って来ると死んでしまうから「鉄砲」と呼ばれたという話です。
与四郎はその鉄砲見世の遊女に対して本気の恋をしていたと言っています。
「恥ずかしいことだが、普段着(吉原へ行くような一張羅ではない)を着ていても恋人に逢いたいと思う日には闇雲に逢いたくて、雷門にも柳橋にも(当時吉原へ向かう籠や猪牙舟の停留していた地名)乗り物はたくさんあるが、そんなものには乗らないで自分の足で駆け出してまで逢いに行く」

のだそうです。

歌舞伎舞踊では多くの演目で廓の話が描かれますが、ゴージャスで立派な廓の話が多い中、最下級の女郎さんに一心に恋をして、お守りをもらってみたり占いに尋ねてみたり、逢いに行けば相手は女郎さんですから他にも客をとるし、やきもきしていたという恋話を取り上げたこの曲は、下級の女郎さんも人として大切にしていたのでありましょう作詞者の心情が映されている印象的な曲だと思うのです。




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