国立劇場歌舞伎公演も中日を過ぎ、後半戦です。

ここで積恋雪関扉の歌詞の解説をちょっと。


この演目は上下に分かれている構成です。

上の段は、小町姫と宗貞の恋物語を中心に描かれ、下の段は桜の精、墨染と関兵衛実ハ大伴黒主の争う場面がハイライト。

上下の区切りは宗貞が小町姫を見送り、黒御簾で本釣がコーンと鳴るところです。


その下の段、関兵衛が本性を現し、盃の中に映る鎮星(土星と言われています)を見て天下を狙う好機到来と、護摩木にしようと桜の木を斧で切ろうとするところ、桜の精の通力が現じて懐の勘合の印を吸い寄せ、さらには関兵衛を陶酔させてしまいます。

さて、関兵衛が陶酔している場面、舞台が薄暗くなり、桜の木から墨染が姿を現します。「幻か 深雪に勝る桜影 実に明日には雲となり夕べにはまた雨となる 巫山の昔 目のあたり 墨染が立姿」と常磐津が語ってゆきます。

この歌詞の原典は中国の「高唐賦」の「巫山の雲雨」という話を引用したもの。

楚の国の懐王が昼寝の夢の中で巫山の神女と契り、やがて別れなければならない時が来たとき神女が「会いたくなったら朝には雲に、夕には雨になって会いに行きます。雨や雲を見たら私を思い出してください」と言ったことによるものだそうです。

ロマンティックですね。

この墨染という桜の精が宗貞の弟、安貞と契りを結んでいたことと巫山の神女が人間の王と契りを結んでいたことを結びつけての作詞というわけです。

皆さんも彼や彼女としばらく会えなくなるようなとき、別れの挨拶をするときに使ってみてはいかがでしょうか?

_var_mobile_Media_DCIM_102APPLE_IMG_2245.JPG
_var_mobile_Media_DCIM_102APPLE_IMG_2225.JPG
_var_mobile_Media_DCIM_102APPLE_IMG_2257.JPG


「戻駕色相肩」を新春浅草歌舞伎で上演しておりました。プログラムを買ってもそこには書いてないおはなしをひとつ。

常磐津の中でも古い部類の曲で天明8年(1788年)に初演されておりますが、曲の作りもおおらかで節回しも古めかしく、江戸の浄瑠璃の風情も十分に取り入れた作曲になっていて当時の洒落具合が色濃い曲です。

大まかな筋は、大阪の駕籠かきと江戸の駕籠かきと禿との三人で廓の話をしますが、実は駕籠かきの二人は後にぶっかえって正体を表すと真柴久吉と石川五右衛門であったという、観ている方が仰け反るくらいのめちゃくちゃなストーリーで、こういうぶっ飛んだ話が格好良くまとめられているところに歌舞伎舞踊の醍醐味や面白さが在りますね。

登場人物は
吾妻の与四郎(実ハ真柴久吉)
浪花の次郎作(実ハ石川五右衛門)
禿たより
の三人。
二人の駕籠かきがお互いの色事(いろごと)の経験談を話すのですが…


与「まず俺が情事(いろごと)と言うは 江戸町でなし二丁目でなし 角町京町河岸でなし
次「さうして何処だね
与「恥かし乍ら河豚汁よ
次「鉄砲だね
与「あやまるじゃねえか 問はれて云ふも恥ずかしいが 広袖であらうが 逢ひたいと云ふ日にゃァ闇雲よ 雷門にも柳橋にも 猪牙(ちょき)も四つ手も多けれど 奴を思えば日和下駄で かます煙草入れをぽんと叩いて ずっと駆出す しょうがにゃあ


さて、この台詞のやり取り、聞き流していても耳にリズムの心地良いものですが、意味を考えてみましょう。
与四郎が言っている街の名前は吉原の町の通りの名前。上等の見世が並ぶ町の名前を次から次へと挙げては「〜でなし」と否定しています。
「そうしてどこだね?」の質問には「恥かし乍ら河豚汁よ」との答え。そこへ次郎作は「鉄砲だね」と突っ込みます。
「鉄砲見世」は当時吉原の中でも最下級の店をひっくるめて指す言葉で、「河豚汁」も同じ意味ですが、要するに鉄砲も河豚も「当たると死ぬ」から。
鉄砲見世と呼ばれた店は下級の遊女が集められたところで、病気持ちの遊女も多く、病気をもらって帰って来ると死んでしまうから「鉄砲」と呼ばれたという話です。
与四郎はその鉄砲見世の遊女に対して本気の恋をしていたと言っています。
「恥ずかしいことだが、普段着(吉原へ行くような一張羅ではない)を着ていても恋人に逢いたいと思う日には闇雲に逢いたくて、雷門にも柳橋にも(当時吉原へ向かう籠や猪牙舟の停留していた地名)乗り物はたくさんあるが、そんなものには乗らないで自分の足で駆け出してまで逢いに行く」

のだそうです。

歌舞伎舞踊では多くの演目で廓の話が描かれますが、ゴージャスで立派な廓の話が多い中、最下級の女郎さんに一心に恋をして、お守りをもらってみたり占いに尋ねてみたり、逢いに行けば相手は女郎さんですから他にも客をとるし、やきもきしていたという恋話を取り上げたこの曲は、下級の女郎さんも人として大切にしていたのでありましょう作詞者の心情が映されている印象的な曲だと思うのです。




_var_mobile_Media_DCIM_102APPLE_IMG_2026.JPG
_var_mobile_Media_DCIM_102APPLE_IMG_2025.JPG
_var_mobile_Media_DCIM_102APPLE_IMG_2027.JPG

乗合船恵方萬歳

新春浅草歌舞伎の二部で乗合船恵方萬歳がかかっています。
もう残す所あと二日!
今月は常磐津が三番も演目があって、命からがらで勤めております。
もっと早くこのブログを書くべきでした。家に帰るとクタクタで。。。
今夜はえいや!と力を振り絞って書いてます。

さて、その乗合船恵方萬歳の歌詞で気になるところ、わかりにくいところを解説しましょう。

演目のおよその筋はプログラムに書いてありますから割愛。

最初の白酒売の歌詞から。
白酒屋さんが「そもそも白酒の始まりは」という台詞の後に歌が始まります。

〽︎富士の白雪や朝日で解ける 〽︎解けたがどうしたえ 〽︎娘島田は口説の半ばでさ寝て解ける 〽︎やれよいよい 〽︎良い評判で売りかける

白酒の由来かと思ったら、なんか違う。。。
はやし言葉を抜いて現代語に訳してみると
「富士山のてっぺんの白い雪は朝日が当たって溶けます 娘さんの島田髷は(恋人と)口説(いちゃいちゃした会話)の途中で寝て(もっといちゃいちゃして)解けてしまいます」
色っぽい話でした^^ どこにも白酒の由来が入ってませんね。どうしたのかしら?と思ったあなた、そうです。この歌詞は色っぽいことを意味が違うふたつの「とける」という言葉にかけて表現しただけのものでした。

お次は大工さんの件り。
〽︎そも番匠のはじまりは 叩き大工のこっとらが 聞いても上の空仕事 嘘を突き鑿 差し金と使い慣れたる友達と
〽︎すぐに裏釘返して後は本に辛気な溝鉋
〽︎互いに二世と墨さして誓文くさび離れぬ仲を
〽︎このごろは 聞けばお前はしん手斧 また新店に回し挽き 憎や節木の性悪と

大工さんが使う道具と曲輪の色事を掛詞にしてあります。
「気心の知れた友達と廓に遊びに行って気に入った女郎さんに会い、すぐに裏を返す(二度目に遊びに行くこと)。女郎は本当に辛い身(ぞかんな)なのですよ。
お互いに二世を誓って(夫婦になろうと約束して)刺青をして(大工さんは墨壺で線を引くこと)起請誓紙をとりかわしてくさびを打たれても離れない仲になったはずが この頃は聞けばお前はよその新しい店に回っているとは なんて憎らしい節穴の空いた木のように性悪な人!」(このごろは〜の部分は今回上演しておりません)

というわけです。
廓に遊びに行くという習慣が最近はありません。風俗遊びのようなものですが今よりもっと上等で、真剣な恋愛もあったということです。歌舞伎の題材ににはよくありますね!^^

さて、全部訳していると、今の価値観とはかなり違うというか、消滅している常識もあったりするので、学術的に研究する向きは他の先生方にお譲りするとして、ざっとこんな感じの洒落て色っぽい雰囲気を楽しんでいただければと思います。

ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

兼太夫 拝



↑このページのトップへ