私は今までに一度だけ、真剣に自死の道を選ばなければならないかと考えたことがある。
自死は選択肢の3番目だった。しかし、考え方を一歩間違えば2番目、1番目に浮上する可能性もかなりあった。
あのとき小さな縁を断ち切れなければそれを選ばなければならなかったのかもしれない。
結果、今は生きているが、それまでに繋がっていた何かの縁を捨てたのだと思う。
その縁を切っても生きていけることに気づいてからはずっと自分を捉えていた小さなフックのようなものがなくなり、考え方の行動半径が広がったような気がする。
きっと昔の人たち、芝居の題材になったような辛い思いをした人たちはその縁を断ち切れなかったのだろう。
今、自死をした人たちはきっと命よりも大切だと思うほどのことを持っていたんだろう。

自死を考えている人。死ぬよりも、今繋がっている縁を切ることの方がきっと容易い。誰かに多少迷惑をかけたってあなたの命に代えられるほどのことなんてない。頑張らなければならないかもしれない。生活の拠点を移さなければならないかもしれない。愛している人と別れなければならないかもしれない。でも、あなたが生きてさえいればこの先あなたが生み出す何かが誰かのために大切なものになるはずだから。という事をどこかに覚えておいて。

朝9時30分に東京を出発し、一般道のみを走り、18時少し前に福島県広野町に到着しました。
国道6号をメインに走り、途中日立市の港の近くの道の駅で自分で勝手に選べる海鮮丼「味勝手丼」を食べてのひとり旅。
目的は福島第一原発の付近を自分の目で見ること。
放射線の空間線量が高い場所を通るため、誰もお誘いしませんでした。
福島県広野町は原発から20km圏ぎりぎり外側、震災後は原発作業員さんの最前線と言われた町。今夜はここに宿泊し、明日は南相馬を目指します。
国道6号線は茨城県までは普通の国道でしたが、福島県に入ると道路の様子が変わり、舗装も良く、片側2車線にになってからは信号に止まることも稀で、地元ナンバーの車はほとんど高速道路並みの速度で走っています。ややアップダウンはあるもののなだらかで走りやすい道です。
走りながら地形を見て感じたことは、関東平野までいくつもの山を越え、海に面した岩場を切り開いて道を通し、送電のための電力ロスがあっても、不測の事態が起こったときに関東に原発の影響が及ばないような地形の場所を選んだのであろうということです。
明日は原発に近づき、帰還困難区域を通ります。
どんな光景を見ることになるのでしょうか。
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「待ち得て今ぞ時に逢う 待ち得て今ぞ時に逢う 関路を指して急がん」
皆様ご存知の「積恋雪関扉」通称「関の扉」の置き浄瑠璃。
三味線の伴奏がなく、浄瑠璃だけが独りでお囃子さんと共に歌い始めます。歌い始めの音をガイドなしに歌うところ、我々浄瑠璃語りが心を砕く部分でもあります。

江戸時代、天明四年(1784年)の初演に「重重人重小町桜」という長い長いお芝居の切幕に上演された「積恋雪関扉」のオープニングにぴったりの「大変長らくお待たせしました」とでも言いたげな作詞がお客様のハートをつかむのですが、実は語っております私のハートも鷲掴みにされております。
「積恋雪関扉」は常磐津の中でも一番の大曲。数多くいらっしゃる常磐津の太夫さんたちの中でも、一生のうちに全段を歌舞伎で語る機会を得られる人はほんの僅か。私なんぞにそのチャンスを頂けたことに心から感謝を込めて語らせていただいております。

公演もあと4回を残すのみになりました。
この置き浄瑠璃、今度は何年後に上演されるでしょうか。その時、それはもう私のお役目ではないかもしれません。心して残りの舞台を勤めたいと思います。

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