世炯ソンセンニン、世炯ソンセンニン、世炯ソンセンニン、世炯ソンセンニン、世炯ソンセンニン、世炯ソンセンニン…
何回も何回も呼んでも呼び足りない。

私が、朝大を登校拒否をしたとき、新宿で私を探していた世炯ソンセンニン。
朝大を辞めるとき、親を含め反対してた人たちを説得してくれたのも世炯ソンセンニン。
朝大を辞めてもウリナラユニバーシアード代表に弱冠19歳で選んでくれたのも世炯ソンセンニン。
代表合宿直前に重病を患い、神奈川の病院に搬送された直後にすぐ駆けつけてくれたのも世炯ソンセンニン。
日本企業サッカー部に入団が決まり、代表の道が絶たれたとき、国分寺の茶店で苦い珈琲を共に飲んでくださったのも世炯ソンセンニン。
古河に入り、筑波大学の後輩でもある現日本サッカー協会会長 田嶋さんに"頼むな"と
人知れず連絡してくれたのも世炯ソンセンニン。
朝鮮新聞社から取材拒否を受けたとき、真っ先に抗議してくれたのも世炯ソンセンニン。
そして、その翌週に朝日新聞を呼んできたのも世炯ソンセンニン。

どんな状況であれ、僕を信じてくれた世炯ソンセンニン。
僕のために多くの敵を作ってしまいましたね。

そんな、ソンセンニンがいなくなったら、僕はどうすればいいんでしょうか?
ホント、目を覚ましてください。お願いします。心が痛くて痛くてたまりません。
世炯ソンセンニンが名誉監督されてる、朝大に僕が行くようになって安心したから、逝かれたのでしょうか。
なら、僕はもう行きません。
だから、またソンセンニンお話しましょう。今回は僕がソンセンニンの溜まった話を聞きますので、ねぇソンセンニン。

ソンセンニンがいなくなったら僕がやってることに何の価値があるのでしょうか。