こんばんは。
いつも夜分すみません。
僕です。
先週のことですが、今更ながら振り返ってみようかと思います。
と思ったんですが、その辺は他のメンバーに任せます。←
都城総合文化ホール、通称「MJ」
先週の土曜日に、僕らがワンマンライブをした会場。
そこのスタッフさんが最高だ、っていう話をします。
話は4年前に遡ります。
初めて都城に訪れ、小中学校を回った時のこと。
そのとき僕は本当に、自分がどうして良いのか分からなくなってました。
無力感がスゴかった。
歌うこと、ステージに立つこと、JARNZΩに居ること、
全部が苦しかったときでした。
何かこう、どこにも自分がいない気がしちゃってたんですね。
それでもメンバーのこと、JARNZΩのことはほっとけないし、っていう、
色んな人に申し訳ない精神状態で、毎日過ごしてました。
都城で僕らがやってる学校公演では、
MJのスタッフさんが、一緒に回って、音響や舞台、それ以外の様々なことをサポートしてくれます。
そこでのスタッフの皆さんの姿が、僕の心の胸倉を掴んでグワングワン言わせてくれたんです。
東京で大した成果もあげていない僕らを、アーティストとして丁重に、技術と心で、支えてくれました。
僕はそんな廃れた気持ちでいるのに。
アーティストとして、ステージに立って歌う人として、とても大事そうに扱ってくれました。
もちろん、あちらも仕事でやっていることですし、言ってしまえば僕らも。
そこに今更「全力で」なんて言葉は、却って無粋極まりないものではあるのですが。
今思えば、そのとき初めて「スタッフの皆さんと一緒にステージを作っている」「チームの代表としてステージに立っている」っていう気持ちが芽生えたのかも知れません。
ちゃんとしなきゃって思いました。
一人の人間として、与えられた時間で、与えられたパートで、
子供たちに伝えるべきことを伝えなきゃって思いました。
追い詰められたんじゃなくて、すごく心地よかったんです。それが。
自分の中に「伝えたいこと」が、まだあるって気付けたことも、
スタッフの皆さんが一緒にステージを作ってくださることで、僕が「ステージに立って歌う」というパートでいることを許容された、ような気がしたことも。
勝手な僕の思い込みが、僕にとって都合のいい方に捻れたってだけなのかも知れませんが。
すごく嬉しかったんです。
毎年会えるのも、すごく嬉しかったんです。
来年はどうなんだろなぁ。学校はほぼ回りきってしまったからなぁ。笑
そもそも3年周期くらいだったものを、禁忌の4年目を超えて5年目の今年だったから。
勝手に好きだった都城。
先日から「みやこんじょ大使」になりまして。
これはまた、都城に行く口実が出来たか?と、
密かに期待している昨今であります。
っていうか、僕はMJのスタッフさん達に会いたいのであります。
彼らは、僕の恩人なのであります。
勝手にね。
さて、日曜には宮崎市内の「ライブハウス」SR BOXでライブをしました。
僕らの今のところの基本的な居場所というか、身の丈や鳴らす音に合ってるのは「ライブハウス」っていうフィールドだと思います。
帰ってきた、って感じがして、好きなんです。
学校⇒ホール⇒ライブハウス←ここのタイミング。好きなんです。笑
ホールでもそうだったけど、今年のSRはやたら力入ったなぁ。
唇切れまくったし。久しぶりに途中あんまり覚えてないし。笑
けどその、身体と声と顔と、全部使って、
言葉は発さないパートでも、伝えるべきことを伝える、っていうのが僕のスタイルなんで。
そのスタイルの形成には、都城での思い出が、
大いに関与しているのですよ、っていう、
そういう、話。
あれ、そういう話だっけ?
違う気がする。
まあいいや。
寝る。
明日はロックの日だって。
知るか。
けい