こんばんは。
ぼくですよ。
今日は浦和コルソにて35周年のお祝い。
地元の皆様の発表の中、ゲストと呼ばれて。
ありがてえやなあ。
共にゲストとして出演したハモリストたち。
ダイナマイトしゃかりきサーカス先生と、
初めましてのSEVEN VOJAさん。
ちゃーんとぶん殴られました。
思ったことをまとめとこう。
今日のは、みんなゴメン。
ただの、メモだ。
とりあえず声質は、やっぱ大事だ。
これに関しては「それがいちばん大事MAN」と「そんなの関係ねえ」をグルグルしてる。
最近ちょっと、わかってきた気はする。
結局は、気持ちいいとこに気持ちいいのを入れるしかないんだ。
その、頭で描く「気持ちいい」の質と、
頭の中の「気持ちいい」を、自分の体を使って忠実に鳴らす技術を磨くしかないんだ、って、
言葉にするのは簡単。
実際やるのは大変。なんだってそんなもんだよね(笑)
ただ、「こういうイメージでやってる」って言って、なってる音が全然違ったらハッキリ言って「無意味」だし、
そもそも描いてるイメージが、人に見せたら「はぁ?」ってモンだったら、やっぱ無意味。
そこはもう、大前提なんだよなあ。ホントは。
大前提をクリアした上での「個性」であり、「表現内容」が意味を持ってくる。
クソほど悔しいね。
やりたいことをやる資格、みたいなことだよね。
フィギュアスケートの選手が、表現力やスピンの技術を追求する前、
スケート靴を履く、くらいのさ。
「気持ちいい」に、ピッチも付いてくる。
あくまで、音の「要素」として、ピッチとか音質とかが「含まれているだけ」
「気持ちいい」がドレミファソラシドの中になければ、平気ではみ出す、これも技術。
今日見た先輩方は、ここが特に卓越してたように思った。
それがきっと「情念」とか「遊び心」とか呼ばれて、「要素」に入ってくるんだろう。
どれかひとつ足りなけりゃ、それはもう「欠損した音」であって。
重ねたところで、やっぱり「足りない音」になんだよなぁ。
往々にして、女性シンガーの方がこの「気持ちいいとこに気持ちいいのを入れる技術」に関しては高い気がする。
おかしいなあ。字面で見たら、入れるのは男の方の仕事っぽいんだけどなあ。
エロいこと考えた人は廊下に立ってなさい。
あと、やっぱりコーラスは「個人技」だ。
「団体種目」では、あるんだよ、当然。
でも、どのスポーツもそうだけどさ、
個人の集合なんだ、チームは。
だからいいんだ。
チームワークは個人の責任の上に成り立つんだ。
なんか先輩方、それを楽しんでる感じが、すげーするのよな。
俺らもリハの段階では、イメージとか、奏法とか、あーだこーだ言って、言われて、探してく。
特に、あんまり誰も触ってないとこやることが多いから、音探しの時間は多分長いし、遠回りも多い。
そうしてとりあえず見つけたものを、いざステージに乗せたら、
やっぱ自分のことで一杯だし、
他の人のミスを、まあカバーは出来るかもしんないけど、
なかったことには、絶対に出来ない。
いやね、歌詞間違えるとかは、もういいのよ。逆に。笑
あれで何か漲ったりもするしね、不思議なもんで。
そういうことでなくて。
俺が言いたいのはひょっとしたら、聞いてる人には分かんないような些細なこと、なのかもしれない。
だけどコーラスって、それが全部な気がする。
些細なもんを、売るほど集めてヤルのが、コーラスな気がする。
それが「気持ちいい」の全てな気がする。
そういう意味で、緊張感のあるイーブンな関係でいたい。
ステージでは特にね。
そのために出来る事は、自分の演奏を全うすること、でしかないんだけど。
やっぱりJARNZΩだから。
ぶっ壊したい固定観念もたくさんあるし、人と同じことしたくないし。笑
んだけど、出来ないからやらないのと、出来るけどやらないのだと、やっぱ違うんだよな、きっと。
改めて、基礎って大事だな、って思います。
先輩方、ありがとうございます。
浦和コルソさん、素晴らしい機会をありがとうございます。
やっぱりね、俺らの演奏、何が目的かってったら、
聞こえた人に、「感じて」もらうことだと思うんです。
語るなら歌じゃなくていいし。
踊りたくなるくらいの興奮でもいい
泣きたくなるくらいの衝動でもいい
なんか感じて欲しいと思って奏でる、しかないんです。
そうじゃないと、結構退屈なんです。ベースは特に。笑
聞いてる人にとっては「得体の知れない感動」でいいんです。
それに裏付けが欲しいんです。僕は。
いつ聞いても同じ「得体の知れなさ」を提供したいんです
果てしないけどね
出来る気がしてるよ
とりあえず皆さんをビショビショにするのが目標です
あっ、汗や涙でね。
エロいこと考えた人は、廊下に立ってなさい。
じゃ、おやすみ。
けい
ぼくですよ。
今日は浦和コルソにて35周年のお祝い。
地元の皆様の発表の中、ゲストと呼ばれて。
ありがてえやなあ。
共にゲストとして出演したハモリストたち。
ダイナマイトしゃかりきサーカス先生と、
初めましてのSEVEN VOJAさん。
ちゃーんとぶん殴られました。
思ったことをまとめとこう。
今日のは、みんなゴメン。
ただの、メモだ。
とりあえず声質は、やっぱ大事だ。
これに関しては「それがいちばん大事MAN」と「そんなの関係ねえ」をグルグルしてる。
最近ちょっと、わかってきた気はする。
結局は、気持ちいいとこに気持ちいいのを入れるしかないんだ。
その、頭で描く「気持ちいい」の質と、
頭の中の「気持ちいい」を、自分の体を使って忠実に鳴らす技術を磨くしかないんだ、って、
言葉にするのは簡単。
実際やるのは大変。なんだってそんなもんだよね(笑)
ただ、「こういうイメージでやってる」って言って、なってる音が全然違ったらハッキリ言って「無意味」だし、
そもそも描いてるイメージが、人に見せたら「はぁ?」ってモンだったら、やっぱ無意味。
そこはもう、大前提なんだよなあ。ホントは。
大前提をクリアした上での「個性」であり、「表現内容」が意味を持ってくる。
クソほど悔しいね。
やりたいことをやる資格、みたいなことだよね。
フィギュアスケートの選手が、表現力やスピンの技術を追求する前、
スケート靴を履く、くらいのさ。
「気持ちいい」に、ピッチも付いてくる。
あくまで、音の「要素」として、ピッチとか音質とかが「含まれているだけ」
「気持ちいい」がドレミファソラシドの中になければ、平気ではみ出す、これも技術。
今日見た先輩方は、ここが特に卓越してたように思った。
それがきっと「情念」とか「遊び心」とか呼ばれて、「要素」に入ってくるんだろう。
どれかひとつ足りなけりゃ、それはもう「欠損した音」であって。
重ねたところで、やっぱり「足りない音」になんだよなぁ。
往々にして、女性シンガーの方がこの「気持ちいいとこに気持ちいいのを入れる技術」に関しては高い気がする。
おかしいなあ。字面で見たら、入れるのは男の方の仕事っぽいんだけどなあ。
エロいこと考えた人は廊下に立ってなさい。
あと、やっぱりコーラスは「個人技」だ。
「団体種目」では、あるんだよ、当然。
でも、どのスポーツもそうだけどさ、
個人の集合なんだ、チームは。
だからいいんだ。
チームワークは個人の責任の上に成り立つんだ。
なんか先輩方、それを楽しんでる感じが、すげーするのよな。
俺らもリハの段階では、イメージとか、奏法とか、あーだこーだ言って、言われて、探してく。
特に、あんまり誰も触ってないとこやることが多いから、音探しの時間は多分長いし、遠回りも多い。
そうしてとりあえず見つけたものを、いざステージに乗せたら、
やっぱ自分のことで一杯だし、
他の人のミスを、まあカバーは出来るかもしんないけど、
なかったことには、絶対に出来ない。
いやね、歌詞間違えるとかは、もういいのよ。逆に。笑
あれで何か漲ったりもするしね、不思議なもんで。
そういうことでなくて。
俺が言いたいのはひょっとしたら、聞いてる人には分かんないような些細なこと、なのかもしれない。
だけどコーラスって、それが全部な気がする。
些細なもんを、売るほど集めてヤルのが、コーラスな気がする。
それが「気持ちいい」の全てな気がする。
そういう意味で、緊張感のあるイーブンな関係でいたい。
ステージでは特にね。
そのために出来る事は、自分の演奏を全うすること、でしかないんだけど。
やっぱりJARNZΩだから。
ぶっ壊したい固定観念もたくさんあるし、人と同じことしたくないし。笑
んだけど、出来ないからやらないのと、出来るけどやらないのだと、やっぱ違うんだよな、きっと。
改めて、基礎って大事だな、って思います。
先輩方、ありがとうございます。
浦和コルソさん、素晴らしい機会をありがとうございます。
やっぱりね、俺らの演奏、何が目的かってったら、
聞こえた人に、「感じて」もらうことだと思うんです。
語るなら歌じゃなくていいし。
踊りたくなるくらいの興奮でもいい
泣きたくなるくらいの衝動でもいい
なんか感じて欲しいと思って奏でる、しかないんです。
そうじゃないと、結構退屈なんです。ベースは特に。笑
聞いてる人にとっては「得体の知れない感動」でいいんです。
それに裏付けが欲しいんです。僕は。
いつ聞いても同じ「得体の知れなさ」を提供したいんです
果てしないけどね
出来る気がしてるよ
とりあえず皆さんをビショビショにするのが目標です
あっ、汗や涙でね。
エロいこと考えた人は、廊下に立ってなさい。
じゃ、おやすみ。
けい