月別アーカイブ / 2015年11月

こんばんは。




僕です。






ブログやTwitterには、なるべく心中を隠さず書くようにしてます。


ただ、読んで気持ちのいいものかどうか、は、一応気にします。



こういう夜中に書き物してると、どうにも内容が愚痴っぽくなることがあります。






そんな自分が嫌なので、愚痴の根源について心底納得がいくまで、アレコレ考えてみたりひます。



どんなことも幸せだと思えたら最高じゃない。

そんな人になりたいし。







しかし最近、その考えとは真逆の「とりあえず寝る」が俺の中でキテます。







寝て起きて、まだ気になるようだったらやっぱり考えます。


タイムロスにも見えなくもない。






ただ、ほとんどとまではいきませんが、

起きたら割とどうでもよくなってます。



朝の慌ただしさにかき消されてるだけかもしれないし、

また同じことでつまづく可能性はあるんですけどね。






でも、「ただ生きる」より優先すべきことって、あんまりない気もするんですよ。



寝ずに考えることは、この「ただ生きる」にとっては大きな障害なわけで。

それを良しとするか否かは、人それぞれでいいと思うんですけども。





投げやりな意味では決してなく、

まあいいや、と思えたなら、


なんというか、まあ、いいのではないかと。





息が詰まる生き方もスリリングでエキサイティングでいいんですけどね。



ただただ生存本能に身を任せるのもこれ、生き物のつとめですよね。




生きものは死にもの

命ある以上、いつかそれがなくなるという決まり事からは逃げられません。




その刹那の中、まあいいや、でどれだけ許すのか。



その尺度を測るというか、境界を自分で作るというか。



「夜はとりあえず寝る」というごく当たり前の行為に、そんな意味合いがあってもいいじゃない。



寝てる間に脳はせっせこ記憶の分別をしているそうですし。




自分の無意識を多少信じてやろうじゃない。



なんか素敵じゃない。





そうでもない?




どう?









わかんなかったらとりあえず寝てみて。


俺も今夜はそうするよ。

んじゃ。

おやすみ。



けい

こんばんは。



僕です。






涙は、脳が処理しきれなかった感情のこぼれ汁だそうです。





恐いとか、悲しいとか寂しいとか。


そういうのは本能的に死と近いから、溢れるのもわかりやすい。





嬉し涙ってすごいね。



感情って生命としての本能に近い場所にあるもんだと思う。



だけど、いっぱい食ったとか、いっぱい寝たとか、直接生命の足しになりそうなことでは泣けないみたい(寝過ごした悔いで泣くことはあるかもしれない)。


すげー頑張ったことが成功したとか、そういうのの方が自分の生命にはプラスに感じるらしい。


もっとすごいのは「映画の主人公が幸せになった」とか、そういうので人は泣けちゃうんだよね。



興奮とかも高まりすぎると涙が出るけど、

生涯会うことのないような他人の幸せすら、自分の命にとってプラスと感じられる心が、

人間のすげーいいとこなんじゃないかな、なんて




そんなことを真顔で鼻ほじりながら打ってる夜更け。




まあいいや、泣くほど寝よう。





けい

こんばんは。




僕です。






口内炎ができました。



すげー痛い。




何がツラいって、食事がツラい。


何食べても痛い。

食事が楽しくない。





自分が食べることでどれだけ癒されていたかを、文字通り痛感する。






当たり前だと思ってることがホントはとても有難いことなんだ、とか言うつもりはない。
多分そんなのみんな知ってる。





ただ普段、メシが美味いからって、「美味いメシを食った」で終わっちゃうじゃない。


なくなると、意外と大きいのよね。

美味いメシを食うこと以外に、色んなバランスが微妙に崩れたりする。


一つの体を使って色々やってる都合上、仕方の無いことなんだと思うよ。

思いの外、自分の中だけでもいろんな要素が支えあって自分ができてる。




俺らの音楽も、誰かにとってそういう要素の一つでありたいなあと思った。


意識しなくてもいつでもそばにあって、
ふとした時に楽しんでみるでもいいし、
何かあった時に思い出して力にしてくれてもいい。


なんかそんな存在でありたいな、と思った。





とりあえず口内炎どっかいけ。




本日は以上。






けい

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