こんばんは。
僕です。
東京に帰ってまいりました。
沖縄最終日は、今帰仁村にあります北山高校の予餞会で歌わせていただきました。
ありがたいことにJARNZΩは学校行事で歌わせていただく機会が多く、僕個人としても非常に好きな時間であります。
学校公演に於ける僕の意気込みについては過去の記事を御参照くださいね。
生徒さん達の前で歌わせていただくにあたり、どうしても自分が同じ年の頃のことが思われます。
良くある話ですが、授業の内容が高度になるにつれ、「こんなもん社会に出てから使わねーよ!」という思いに駆られますね。(笑)
いま考えると、よく出来たシステムだなぁと思います。
数学とか、歴史とか、古文とか物理とか。
確かに、社会に出てから、それ自体は知らなくてもあまり困らないことも、授業ではたくさん習うことになります。
ですが、大人になってからも「これはなんの役に立つんだろう?」という疑問を抱えながら、頑張らなくてはならないこと、残念ながら、物凄くたくさんあります。
ミュージシャンとして、大好きなものを仕事に出来た今でさえ、その疑問を感じることは、多少なり、あります。
そしてそれらは困ったことに、悪い点数を取ることは許されません。
まあ学校のテストも本来そうなのですが、かかってくるプレッシャーは、人によっては桁違いになってきます。
どんなお仕事も、基本的には誰かの役に立っています。
誰かの役に立って、ありがとうの気持ちとしてお金を受け取っているのです。
「これはなんの役に立つんだろう?」と思うことも、終わってみればいい結果として報われることも、とても多いです。
そうでもないこともあるんですけどね。
今の自分の努力が、きっと誰かの役に立つ。
そう信じることで、自分に言い聞かせることで、大人たちは頑張っているんですね。
学校の授業ってのは、そういった「得体の知れないものを頑張る」のと、「努力に自分で理由づけをする」ということの、この上ない練習であると思います。
もちろん、専門分野に進む意志があって、その分野の授業を受けているのであれば、目標は明確であるのですが。
そうでない場合の話ね。
学校の授業の場合、テストという明確な指標があるので、目標の設定も簡単であると思います。
いい点数を取れば、間違いなくその利益は、進路の選択肢という形で自分自身にもたらされます。
進学のために勉強をしている感覚というのは、中学高校の段階ではどうしても拭えないものであるとは思うのですが。
ゆくゆく大学や専門学校を卒業し、何かしらの仕事に就こうとするとき。
大人たちは、勉強ができるかとか、そんなことより、「一生懸命になれる人か」というのを見ます。
わかるんですよね、大人たちは。
勉強でも、部活でも他の活動でもそう。
努力しなければ得られないものを、どれだけ持っているかってのを、大人たちは見ています。
実際職に就いてからも、頑張り方を知っている人は、そうでない人より、有意義に時間を過ごすことが出来るでしょう。
なにより、学校の授業でやってることって、真面目にやると結構面白いんですよね。笑
でもそれに気づくのは、大概大人になってから。
せっかく目の前に、その分野の先達が居て、その知識を余すことなく教えてくれると言っているのに、今は興味がないからといって何とも思わずにいるのは、単純にもったいないですよね。
お勉強のことばかり、お説教みたいになってしまいましたが。
部活動だったり、人間関係だったり、大変な事ってたくさんありますよね。
でも楽しいことも用意してくれてるんですよね。
修学旅行とか、僕らみたいなパフォーマーを招いてくださったりとか。
楽しいと思うかは、人それぞれだと思う。
でも、楽しんだ方が絶対にいいと、僕は思います。
大人になってからも、大変な事はたくさんあります。
逃れることのできない責任や、守るものも増えていくにつれ、学校生活では味わうことのないような辛いことも訪れます。
しかも大変なことって、どういうわけか、何もしなくてもどんどんやってきます。
大人になって、少しずつ年をとっていく。
生き物である以上、少しずつ少しずつ壊れていきます。
そうである以上、悲しいことや辛いことは、遠慮もなしに向こうからやってきます。
でも、楽しいこともたくさんできます。
自分自身に責任さえ持てば、学生時代には経験できないような楽しいことにも、たくさん出会えます。
ですが楽しいことは、自分から迎えにいかないと、なかなか出会えません。
選択肢が多くなる分、こちらから歩み寄らないと、向こうからはなかなかやってきてくれません。
オモチャに遊び方があるように、
ゲームにルールがあるように、
楽しいものには、楽しみ方があります。
面白いものには、面白がり方があります。
楽しみ方や面白がり方を知らないと、本当はすごく良い物でも、無価値に見えてしまいます。
苦労や悲しみを乗り越え、自分が本当に楽しいと思えるものを見つけ、目一杯楽しみ、
その先に、自分だけの幸せを見つけ出せたら、とてもいい人生になるんじゃなかろうかと僕は思っています。
何もしなくても人生はいつか終わります。
苦しみにいつまでも付きまとわれ、楽しみを見出すことも出来ないままでも、いつか終わります。
めちゃくちゃ嫌じゃないですかそんなの。
だからこそ、頑張れる人にならなきゃいけないし、楽しいものを楽しいと感じられる人にならなきゃいけない。
学校っていうところは、そういった要素を全部学べる場所なんだと思います。
通ってた頃は考えもしなかったけどね、そんなこと。笑
そんな学校という場所で、歌わせていただくわけですから、
生徒さん達が前のめりになって楽しもう!と思えるものを提供せねばなあ、とは思うのですが。
これからもまだまだ、終わりの見えない努力は続きそうです。
上手くやればきっと、それすらも楽しいんだろうね。
せっかく夢を追えるんだから、誰よりも楽しまなきゃね。
本日は以上。
けい
僕です。
東京に帰ってまいりました。
沖縄最終日は、今帰仁村にあります北山高校の予餞会で歌わせていただきました。
ありがたいことにJARNZΩは学校行事で歌わせていただく機会が多く、僕個人としても非常に好きな時間であります。
学校公演に於ける僕の意気込みについては過去の記事を御参照くださいね。
生徒さん達の前で歌わせていただくにあたり、どうしても自分が同じ年の頃のことが思われます。
良くある話ですが、授業の内容が高度になるにつれ、「こんなもん社会に出てから使わねーよ!」という思いに駆られますね。(笑)
いま考えると、よく出来たシステムだなぁと思います。
数学とか、歴史とか、古文とか物理とか。
確かに、社会に出てから、それ自体は知らなくてもあまり困らないことも、授業ではたくさん習うことになります。
ですが、大人になってからも「これはなんの役に立つんだろう?」という疑問を抱えながら、頑張らなくてはならないこと、残念ながら、物凄くたくさんあります。
ミュージシャンとして、大好きなものを仕事に出来た今でさえ、その疑問を感じることは、多少なり、あります。
そしてそれらは困ったことに、悪い点数を取ることは許されません。
まあ学校のテストも本来そうなのですが、かかってくるプレッシャーは、人によっては桁違いになってきます。
どんなお仕事も、基本的には誰かの役に立っています。
誰かの役に立って、ありがとうの気持ちとしてお金を受け取っているのです。
「これはなんの役に立つんだろう?」と思うことも、終わってみればいい結果として報われることも、とても多いです。
そうでもないこともあるんですけどね。
今の自分の努力が、きっと誰かの役に立つ。
そう信じることで、自分に言い聞かせることで、大人たちは頑張っているんですね。
学校の授業ってのは、そういった「得体の知れないものを頑張る」のと、「努力に自分で理由づけをする」ということの、この上ない練習であると思います。
もちろん、専門分野に進む意志があって、その分野の授業を受けているのであれば、目標は明確であるのですが。
そうでない場合の話ね。
学校の授業の場合、テストという明確な指標があるので、目標の設定も簡単であると思います。
いい点数を取れば、間違いなくその利益は、進路の選択肢という形で自分自身にもたらされます。
進学のために勉強をしている感覚というのは、中学高校の段階ではどうしても拭えないものであるとは思うのですが。
ゆくゆく大学や専門学校を卒業し、何かしらの仕事に就こうとするとき。
大人たちは、勉強ができるかとか、そんなことより、「一生懸命になれる人か」というのを見ます。
わかるんですよね、大人たちは。
勉強でも、部活でも他の活動でもそう。
努力しなければ得られないものを、どれだけ持っているかってのを、大人たちは見ています。
実際職に就いてからも、頑張り方を知っている人は、そうでない人より、有意義に時間を過ごすことが出来るでしょう。
なにより、学校の授業でやってることって、真面目にやると結構面白いんですよね。笑
でもそれに気づくのは、大概大人になってから。
せっかく目の前に、その分野の先達が居て、その知識を余すことなく教えてくれると言っているのに、今は興味がないからといって何とも思わずにいるのは、単純にもったいないですよね。
お勉強のことばかり、お説教みたいになってしまいましたが。
部活動だったり、人間関係だったり、大変な事ってたくさんありますよね。
でも楽しいことも用意してくれてるんですよね。
修学旅行とか、僕らみたいなパフォーマーを招いてくださったりとか。
楽しいと思うかは、人それぞれだと思う。
でも、楽しんだ方が絶対にいいと、僕は思います。
大人になってからも、大変な事はたくさんあります。
逃れることのできない責任や、守るものも増えていくにつれ、学校生活では味わうことのないような辛いことも訪れます。
しかも大変なことって、どういうわけか、何もしなくてもどんどんやってきます。
大人になって、少しずつ年をとっていく。
生き物である以上、少しずつ少しずつ壊れていきます。
そうである以上、悲しいことや辛いことは、遠慮もなしに向こうからやってきます。
でも、楽しいこともたくさんできます。
自分自身に責任さえ持てば、学生時代には経験できないような楽しいことにも、たくさん出会えます。
ですが楽しいことは、自分から迎えにいかないと、なかなか出会えません。
選択肢が多くなる分、こちらから歩み寄らないと、向こうからはなかなかやってきてくれません。
オモチャに遊び方があるように、
ゲームにルールがあるように、
楽しいものには、楽しみ方があります。
面白いものには、面白がり方があります。
楽しみ方や面白がり方を知らないと、本当はすごく良い物でも、無価値に見えてしまいます。
苦労や悲しみを乗り越え、自分が本当に楽しいと思えるものを見つけ、目一杯楽しみ、
その先に、自分だけの幸せを見つけ出せたら、とてもいい人生になるんじゃなかろうかと僕は思っています。
何もしなくても人生はいつか終わります。
苦しみにいつまでも付きまとわれ、楽しみを見出すことも出来ないままでも、いつか終わります。
めちゃくちゃ嫌じゃないですかそんなの。
だからこそ、頑張れる人にならなきゃいけないし、楽しいものを楽しいと感じられる人にならなきゃいけない。
学校っていうところは、そういった要素を全部学べる場所なんだと思います。
通ってた頃は考えもしなかったけどね、そんなこと。笑
そんな学校という場所で、歌わせていただくわけですから、
生徒さん達が前のめりになって楽しもう!と思えるものを提供せねばなあ、とは思うのですが。
これからもまだまだ、終わりの見えない努力は続きそうです。
上手くやればきっと、それすらも楽しいんだろうね。
せっかく夢を追えるんだから、誰よりも楽しまなきゃね。
本日は以上。
けい