こんばんは。




僕です。







今日、3/11という日に陸奥は岩手でコンサートに出演した。


ここ数年においては、僕らにとって、恒例の行事だ。




しかしその度に思うことも大いにあって、またそれは時の流れとともに大きく変わっていく。


ただ毎年のことだから行くのだ、とは、なかなかいかないものだ。







誰が何を望んでいるのか。




今日という日に限らず、またステージに立つ人間に限らず、

誰もが、いつでも、知ることが許されるのならそうしたいと思うことだろう。




3/11という日は僕にとって、その当然の感情について、深く深く考える日なのだ。






6年前の今日、多くの命が奪われた。


前にも書いたかもしれないけど、「多くの命が奪われる事件が1つ」と考えたくない、というのが、僕の思い。


心の半分か、それ以上をちぎられる大事件が、何万件もあるのだから。


しかしそれは、今日という日に限られたことではないのだとも思う。





僕の身内も、あの日に数名、あの日以降にも数名、この世を離れた。


それをどう区別することが出来るだろう。


ただテレビがそう言えば、大変なことが起こったことに気付ける。

それを軽視するつもりはもちろん無い。

そんなことが出来たら、むしろ何か楽になるのかもしれない。


いつでもどこかで、思った以上にたくさん、大変なことは起きている。


それに気付けないことを、誰か咎めることができるのだろか。




さっき擦れ違った誰かが、いま大変かもしれない。


逆に、さっきぶつかりそうになった誰かは、今日が誕生日だったのかもしれない。



知り合いに3月上旬生まれのシンガーがいる。

彼は「誕生日を祝う気になれなくなってしまった」と言った。


彼がそうなることを、誰か望んだだろうか。

彼がそう思わないことを、誰も望まなかっただろうか。





誰が何を望んでいるのか。



それを知れない僕らは、精一杯の「楽しいもの」で自分の手の届く範囲を満たすしか、それしか出来ない。


ひどく短絡的に感じることもあるけど、それを一生懸命やることで、出会えた笑顔も、喜びもあるにはある。


逆もひょっとしたらあったかも知れない。

でも、誰でも選ぶことが出来る。



選ぶことの出来なかった様々も在る中で、選ぶことの出来るもので、満たす。






下らないと思われたなら、多分そうなのだろう。


誰かが笑ってくれたのなら、多分そういうことなのだろう。


非常に不確かだ。



だから、確かさを求めるために、



多分、年がら年中、僕は満たそうとするのだと思う。


それを、ただ選んだだけ。



それだけ。




うん、それだけだ。






明日も、どこかで大事件が起きるのだから。




歯痒さとともに寝る。




また明日。







けい