おはよございます。




僕です。









5/5、JARNZΩ Go ahead!!~自分らしく~
@表参道GROUND

オカゲサマで、満員御礼。
本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。







今回テーマとなった「自分らしさ」


実は決まった段階では、そこまで大々的にテーマとして取り上げるつもりじゃなかったりもしたんです。笑




ただ「結局自分らしさってなんだろね?」ってメンバーで話してるうちに、段々熱くなっちゃって燃え上がっちゃって。。。


結果的には、この「自分らしさ」という概念に振り回され救われて、そして僕ら自身が改めて「JARNZΩらしさ」と向き合うライブになりました。












自分らしいとは何だろう。


その疑問に答えを出すべく、まず僕は






「らしい」という言葉を、辞書で引いてみた。




『いかにも…にふさわしい。…の特質をはっきりそなえている。』
とある。





「自分」も引いてみた。


『その人自身。おのれ。』とあった。






たまに例外もあるけど、
大概の場合、辞書は分かり切ったことをドヤ顔で言ってくる。


今回もそうだった。


ちなみに「自分らしい」は辞書にはなかった。


くそっ、便利な役立たずめ。







とにかく、「自分らしい」というのは、

「いかにも自分にふさわしい」「自分の特質をはっきり備えている」という状態なわけだ。



つまり「自分らしさ」とは、「自分への相応しさ」「自分の特質」ということになる。




となれば、自分の姿カタチも中身も知ることが、「自分らしさ」探しへの近道だということだろう。

要は「自分探し」だ。






自分の特徴、得手不得手、趣味嗜好、そういったもの。




特徴とか得手不得手っていうのは、残念なことに自分ではよくわからないものだったりする。




当然と言えば当然だ。

そもそもこれらは「他人と比べてどうであるか」のバロメータだから。

「目が大きい」「足が短い」「手先が器用」とかってのは、

その人よりも目が小さくて足が長くて不器用な人がいる前提の話だ。


特徴や得手不得手は、自分以外があって初めて成り立つものなのだ。












ここでひとつ、疑念が生じた。



「他人と比べて如何、なんてモンは、果たして『自分らしさ』だろうか……?」










なんとなく、ではあるが、


「自分らしさ」ってのは、もっと確固たる物で、
他人の存在に左右されるような、生っちょろいものじゃいけない、ような気がしたのだ。







というわけで、「特徴」「得手不得手」を、一旦「自分らしさ」から除外することにした。










となると近そうなのは「趣味嗜好」だった。

アレが好き、これは嫌い。

そう言い切れることは、この上なく強固な「自分らしさ」ではないだろうか。





ちょっと待て、今「言い切る」っつったか俺。



「言う」って言ったか俺。







少し前に僕の中でふんわり生まれた、

「自分らしさ」とは、他人の存在に関わらず、強固に存在するもの

という仮説は、早速瓦解した。










ちょっとだけ、想像力を逞しくして読んでくださいね。笑





例えば、世界に自分1人しかいないとして。

まあ、物は普通にあって生きてける状態、と仮定しましょう。




まず、「自分」って言葉はないよね。

いや、そもそも言葉の必要性がないね。
誰もいないから。伝える必要が無いから。



ひとり言を言うだろって?

それは「言葉」ありきの、「他人」ありきの発想じゃないかなぁ。
もっと逞しく妄想してください。それじゃ立派な変態になれませんよ。え何言ってんの俺。




とにかく世界に自分しかいないんだよ生き物が。

言葉のない世界。
自分のお腹や心を満たしてくれるものを当然求めます。



食べられるものがあります。


これは好き。
これは苦くて美味しくないや。嫌い。




好きなのを食べるでしょ。

嫌いなのは食べないでしょ。
多分、二度と食べないでしょ。

「好き嫌いしないで食べなさい!」とも、
「えー美味しいのにー食べてみてよー」とも言われません。



そしたら、その嫌いなのを食べる人、は、世界中に1人も存在しないわけだ。




となれば、それは「嫌いな食べ物」じゃなくて、「食べ物ではない」ってことなりますよね。

「タコは食べ物ではない」っていう国の話を聞く感覚に近いかな。
想像して。一生懸命、事情を想像して。





食べ物でなくても、匂いや景色や色、好き嫌いありますよね。




でも、世界に自分ひとりだったら、


それはもう、「好き」と「嫌い」じゃなくて、


「いい」と「悪い」になりますよね。






「好き嫌い」は自分のプロフィールだけど、

「善し悪し」は匂いや色の肩書きであって、こっちのものじゃないわけよ。




……伝わってるかな?

ブログじゃなくて酒でも飲みながら話したいことだなこれは。居酒屋トークだな。

いいのか俺、そんなブログ書いてて。
もう4時半だぞ。

いや、今までだってそんなブログしか書いてこなかったじゃないか。


オーケー、話を戻そう。






「他人」の存在がなければ、

「自分」の肩書き自体、必要がなくなる。


そして、もはや物の名前や言葉すら無くなって、

ひいては、「自分」のプロフィールなど存在しなくなる、ということです。



当然、そうだよなぁ。
当たり前すぎて考えもしないようなことだけど、でも、大事なことだなーと感じました。


「嫌い」は、誰かの「好き」の上に成立している。
逆もまた然り。だな。










「自分」とは、「他人以外」のことである。



何となく七五調でキマリもいい結論だなぁ、とか思いました。笑




「自分らしく」って、そんなに肩肘張るようなことでもないのかも知れないな。





うーん、自分らしくありたいものだなぁ。



















ちょっと待て、今オレ何て言った……?





ってわけで、また別の問題に直面するわけですが、




この続きは次回、書きます。(!)





というわけで、まさかの連載第1回
「自分らしさについて本気出して考えてみたら意外にわけわかんなくって火が付いた」



また次回お会いしましょうごきげんようさようなら!←





まずはとにかく、




「自分」とは、「他人以外」のことである。


ドヤ。


辞書じゃねんだから。







けい