おはようございます。






僕です。










久々に乗り込んだ、この時間の電車。



混んでるねー。





見渡す限りお父さん。





お父さん、お父さん、お父さん、女子高生、お父さん、お父さん、OL2人組、お父さん、お父さん、お父さん。







この世のほとんどはお父さんなんじゃないか、という仮説が、いよいよ真実味を帯びてくる。







然らば、お父さん達を元気にする私でありたい、と強く願う。





とはいえ、自分のような若僧に何が出来るだろう。






色々考えたけど、すぐ出来そうなのは

・娘が最近優しい。

・妻が最近優しい。

という状況を作ることな気がしてきた。






いやそりゃもちろん

・最近流行りの何とか云うアカペラの曲を耳にすると血が滾る思いだ



ってなったら最高なんだけどね。




「頑張れ」って言うのだけが「励ます」じゃないんだってことかな。









うつとか、気持ちがお疲れ様な人に「頑張れ」って言うのは良くない、と聞く。


じゃあどうすりゃいいのか。



基本的には「一緒に楽しいことをする人になる」がいいそうだ。


問題と直接的に関係のないことで、気を紛らす効果と、

ポジティブの「切っ掛け」を掴む効果、同時に得よう、と。





ただこの「一緒に~なる」ってのが、実は割と曲者だと僕は思う。



1回や2回では、あまり意味がないのだ。





不変の物として、普遍の物として、

「楽しい」がそこにあるかどうか。





これは気持ちが疲れてるかどうかに関わらず、

生活を心地よく感じるかを左右する物だと思う。





質量のある物が、時計が進むごと壊れていくものである以上、

不幸や災難は、そこら中に転がっているものだと思う。

それこそ、不変で、普遍の物として。







だけど、不幸や災難が当たり前の物であるからこそ、

人の心は、そういった物から自分のことを守れるように、出来てるはず、だと思う。



時には、他の誰かの心の力を借りながらでも、



むしろ、当たり前の物として、借りながら、貸しながら、

壊れていく恐怖と戦って、笑って。

人間らしさとは、そういうことじゃないかと思う。







お父さん達が格好いいのは、


彼らの戦いが、誰かの心を守っているから、なのかも知れない。


どうか戦士達のそばに、不変の楽しみが存在していてほしいと強く願う。



家族の存在、趣味の存在、なんでもいい。



その中に、僕達の歌が、


不変で、普遍の楽しみとして、

在ることが出来たらなあ、なんて、



ひたすら壮大に、だいそれたことを考えたりするんだけど、





さて、あそこに居る女子高生には、


ひょっとしたら俺も、お父さんにカテゴライズされてんのかね



こんな大荷物だから



逃走中のお父さんだと思われてんのかね








うるせえ、岩手に行くんじゃい。




楽しみを届けにねえ。









ちょりーす。










けい