皆さんは、挫折をしたことがあるだろうか。
誰しも、きっとあるだろう。

私も短い22年間の中で、数えきれない数の挫折をしてきた。しかしその中でも、特に記憶に残っているお話をしようと思う。
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私の最初の挫折は、「おてんば病」の時に少しお話した、母と2人の冠番組の取材での事だ。

あまりに古い記憶なのであまり正確ではないが、私はある取材で、たった7、8歳の癖に自分に落胆した。
それまでは、ただ楽しくてその仕事をやらせて貰っていたが、何となく自分の中で、「この世界で生きていきたい」と言う気持ちが芽生え始めた頃だった。

あの大人気アイドルグループ、Berryz工房さんが、仙台に来てくれたのだ。
仙台駅にある、Zepp仙台。今はもう無いが、当時は有名なアーティストさんが沢山ライブをしていた。私が初めてTHE YELLOW MONKEYさんのライブを観たのも、確かZepp仙台だったと思う。
そこでBerryz工房さんがライブをすると言うことで、私と母は取材へ向かった。

楽屋へ行かせてもらい、メンバーの皆さんにお話を聞かせて貰うことも出来た。
その時私は、衝撃を受けた。
よくよく考えれば、東京で活躍するアイドルの方に生で会うのはこの時が初めてだったと思う。 
とにかく皆さん顔が小さい。細い。かわいい。
私とは元々作られている細胞から違う気がした。

インタビューが終わり、リハーサルも見させて貰った。さっきまで楽屋で話していた時に垣間見えた幼さは一気に消え、アイドルの顔に変わる。彼女たちの全身から、物凄いパワーと輝きを感じた。
その姿を舞台袖から見ていた私は、初めて自分に自信が無くなったのだ。

東京へ出たい、東京は凄いところだ、と言う漠然とした憧れしか抱いていなかった私は、レベルの違いを思い知った。彼女たちと何かのオーディションで肩を並べたら、勝てるわけがない。いや、まず肩を並べる所までもいかないだろう。
元々アイドルになりたい訳ではなかった私だが、「自分は、彼女たちと同じステージには立てない。」と、幼いながらに感じてしまったのだ。

その数年後、AKB48へ入る事になるとは、世界中で誰一人想像していなかっただろう。
そのまた数年後、当時私がインタビューさせて頂いたBerryz工房さんのメンバー、清水佐紀さんと主演舞台で共演する事が出来るなんて、当時の私が聴いたらきっと気絶する。

人生何が起こるか分からないものだ。

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その次の挫折は、小学校中学年の頃。
私は、オーディションに落ち続けた。
毎月のように母と東京に行き、あらゆるプロダクションや舞台のオーディションを受けた。
尽く、ダメだった。いや、いい所までは行くのだ。
最終審査で、いつも私の名前は呼ばれなかった。

その中に、ホリプロスカウトキャラバンのオーディションがあった。実は私は、AKBのオーディションを受ける前に、今お世話になっているホリプロのオーディションを受けていたのだ。
私が「舞台をやりたい!」と思ったきっかけをくれたのが、ホリプロが何十年も上演し続けているブロードウェイミュージカル、「ピーターパン」だった。
私が観に行った時は、高畑充希さんがピーターを演じていた。
圧倒された。会場全体が夢と希望に満ち溢れ、お客さんと出演者が一体となり、とても幸せな空間が出来上がっていた。
この事務所に入りたい。と思い、その次のスカウトキャラバンへ応募した。

しかし私は、募集年齢に達していなかった。
それじゃダメじゃないかと笑われるかと思ったが、当たって砕けろ、書類を出してみた。
すると、二次審査の案内の通知が届いた。
私が応募したのは、東北ブロック。ここには東北地方からの応募者が集まり、1人に絞られる。本戦へ駒を進められるのは、東北で1人しかいない。とても狭き門だ。
私は何と、最後の2人まで絞られた。隣には、秋田県出身の安田聖愛さんがいた。その後、このスカウトキャラバンのグランプリに輝く方だ。当時から飛び抜けて綺麗な方だった。

案の定私は、「年齢制限を設けている以上、募集年齢に達していないあなたを本戦へ行かせるわけにはいかない」と、不合格だった。
当然だと思う。しかし私はその時、悔しさよりも喜びの方が大きかった。

当時審査員をやられていたホリプロのマネージャーの方が、わざわざ私を別室に呼び出し、不合格の理由をきちんと教えてくれたからだ。
普通、こんなことはまず無い。
しかも、そもそも応募条件を満たさず応募した私が悪いのに、門前払いせずに、きちんと私の自己PRを聴いてくれた。
そして、「募集年齢をクリア出来たら、また必ず挑戦してみて。」と言ってくれた。

この時、その言葉を私に掛けてくれたマネージャーさんは、今もホリプロにいらっしゃって、所属部署は違うが、イベントや現場でお会いすると、必ず笑顔で声をかけてくれる。

そのすぐ後、AKBへの加入が決まった私は、2回目のスカウトキャラバンを受ける事は無かったが、今こうして、昔から入りたかった事務所でお仕事をさせて貰っている。
私が初めて舞台の魅力の虜になった「ピーターパン」でピーターを演じていた高畑充希さんとも、「忘却のサチコ」で共演を果たす事が出来た。
あの時、「年齢達してないからなぁ…」と諦めていたら、この結果にはなっていなかったかもしれない。

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私が思うに、挫折とは、"種"である。

自分で撒いた種が、数年後、いや、数十年後、大きな花を咲かせる事もある。

今、「失敗した。」と思っても、未来の成功へ繋がる事もある。

人生何が起こるか分からない。

自分の花は、自分の種でしか咲かない。

そしてその種は、誰もが生まれた時から、片手に握り締めているんだと思う。

挫折は人生において、間違いなく必要な経験のひとつである。

でもそこで諦めずに、自分を責めずに、

「この経験は未来への種だ。」

と思うこと。


そうすればきっと、花は咲く。



…かもしれない。