写真に写っている男性は、ジャン・レノではなくうちの父である。
登校拒否の原因は、担任が少し怖い人で、毎日小さな事で怒鳴り、授業が止まる事は日常茶飯。トイレに行きたいと手を挙げた子を叱り、教室でお漏らしをさせるような先生だった。お弁当の時間に箸を忘れると、他のクラスは少し注意されるくらいで、先生が割り箸をくれるのだが、うちのクラスは手で食べなければならなかった。
今でこそ大問題だが、当時の私達は怖くて、誰も声を上げられずにいた。しかしそんな子供達の異変にもちろん親は気付く訳で。父兄の度重なる抗議により、その先生は異動となった。
私の母校はとにかく子供達を伸び伸び遊ばせ、学ばせるがモットーだったので、いい先生方ばかりだった。私の知る限りこの様な事態が起こったのは、この一回きりだ。そんな先生に、私は不運にも当たってしまった。
私の母校はとにかく子供達を伸び伸び遊ばせ、学ばせるがモットーだったので、いい先生方ばかりだった。私の知る限りこの様な事態が起こったのは、この一回きりだ。そんな先生に、私は不運にも当たってしまった。
朝起きるとお腹が痛くなる。寝起きが信じられないくらい悪い私は、毎朝出社する父の車に乗せて貰い、学校まで爆睡しながら送って貰っていた。しかしその期間だけは、ずっと窓の外を眺め、学校の景色が近づいて来る度に消えてしまいたいと思っていた。案の定、校門に着くと車を降りたくなくなる。
学校は休まなかったが、毎朝玄関で「行きたくない」とゴネていた。
そんなある日、車を降りる直前、父に呼び止められ、こう言われた事を今でも鮮明に覚えている。
学校は休まなかったが、毎朝玄関で「行きたくない」とゴネていた。
そんなある日、車を降りる直前、父に呼び止められ、こう言われた事を今でも鮮明に覚えている。
「華怜を泣かせる奴はパパがぶっ飛ばしてやるから、心配するな。」
「うん。」とだけ言って車を降りた。
「うん。」としか言えなかった。
「うん。」としか言えなかった。
とても驚いたと同時に、涙が止まらなかった。なんで泣いてるのか自分でもよく分からなかったが、「あの人は私の父親なんだ。」と言う実に当たり前な実感がその時はとても嬉しかった。そして、父がそんな事を思ってくれていたなんて、私は微塵も感じ取れていなかった。
何故なら父は、私が可愛くないものだとばかり思っていたからだ。
父の弟に娘が生まれた時、父はひどくその子を可愛がった(ように見えた)。
「パパはあの子の方がかわいいんだ」と人生で初めて嫉妬と言う感情に出逢った私は、父と距離を置くようになった。
会社から帰ってくるのがだいたい夜の8時。その頃には私はもう布団に入っていることが多かった。けど父と話したくて、こっそり父が晩ご飯を食べるのを、台所の陰から見ていた。
父の夕飯は決まって、冷奴とポテトチップス。健康に気を遣っているのかいないのか、実に謎な献立だ。母も私もいないリビングで一人、CSで放送されている動物のドキュメンタリー番組を見ながら晩酌をしていた。ポテチに時々、臭いビネガーをかけて食べるのが好きなようだった。
そんな父との唯一の二人きりの時間が、朝の車の中だったのに、私は毎日爆睡をかましていた。今思うと、もっとあの時間を大切にしていればと心から思う。
しかしその時の父の言葉で、私の心は一気に溶けていった。
私が「女優さんになりたい。」と初めて口にした日、母は、「いいじゃない!」と言った。
けど父は珍しく真剣な顔をして私の目をじっと見つめ、こう言った。
けど父は珍しく真剣な顔をして私の目をじっと見つめ、こう言った。
「女優さんになるのは、本当に大変だぞ。辛いことも苦しいこともいっぱいあるんだぞ。それでもお前はやりたいんだな?」
正直、まだ7、8歳の娘が軽い気持ちで口にした夢に対して突きつけるには、早い現実のように思うだろう。けれどこの時父は、今の未来を予見していたのかもしれない。私が"軽い気持ち"じゃない事を感じ取ってくれたから、父も幼い娘に対して真剣に向き合ってくれたのだろう。私も幼いながら、それを感じ取った。父の目が、娘を見る目ではなく、タレントに接する時の目に変わったからだ。よちよち歩きの頃から会社で父の仕事を見ていたから、それくらいは分かった。その気持ちに、私も真剣に応えなくてはならないと思い、その日から私の夢は一度も変わっていない。
父はよく私に、
父はよく私に、
「自分で決めなさい。」
と言った。何から何まで決めたがる母を制し、よく私に自分で物事を選ばせようとしてくれた。
私はあの日女優になると言う夢を、自分で決めた。
私はあの日女優になると言う夢を、自分で決めた。
私にとってお芝居とは、何よりも好きな事であり、生き甲斐であり、父との約束である。
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「二度と息子をいじめるんじゃない。ぶっ殺してやる。」とな。
帰って私にこう言いました。
「もう我慢しなくていい。思い存分たたかえな」
そして戦いました。でも圧力が大きかった。小学校二回も転校しました。
登校拒否は大学までなおらなかった。
華怜さんと同級生だったら仲良くなれたかなー。そんなきがします。(でもこっちはヨーロッパだし10個上だし同級生など無理ね 笑)
以上変な奴のどうでもいい話終わり!
私も小学校のとき2人以外の教師は悪魔でした。
好き嫌いは財産とか政治的にして、嫌いなものを激しくいじめた。
私の場合は母からいつも喧嘩はダメとか言われてただただはんこうなしでいじめられていた。(教師だけに)
で、父は元ボクサーなので殴ったら教師は死ぬから母が戦場に出た。
兄二人居ます。そしてその二人も同じ学校に通っていた。(同時は二人だけだけどね)
上の兄はあんまいじめられなかったが一人の教師が怖くて足さえ動かせなかったらしい。よく教師に殴られてた。
その事をやっと両親に行ったら母が学校に行きましたが、あいつはいつも隠れていた。
なので兄にこう言いました。
「もしあいつがまたいじめてくるならこう伝えなさい。『おいチビハゲ!テメェが息子にこれ以来指一本触れたらテメェーのそのハゲ頭を潰してやる!』」
でカッコいい兄がまさにそのまま伝えました。 笑
教師はびっくりして次のきっかけ(教師と生徒達の親が話し合えるやつ)に隠れるのを忘れた。
見事に母に見つかった。で、ヘラヘラと何もしてないふりをしようとしたが母は「私からの伝言もらったよね」と言って、あいつが小さい声で「あ、あぁ」となんとなく答えた。「あれ本気だからね」と言って帰った。
兄は二度とあの野郎にいじめらことが無かった。
しかしもう一人の兄は教師にも同級生にもいじめられてた。あいつ強かったが気合がまったくないやつだ。
私はいじめっ子をなんとかしたがいつもそばにいられなかったし兄だからちゃんとして欲しかった。 ><
で、あいつがいじめられやすいから教師がもちろん私を狙っていた。
最初は犯行はしたが本当はぶん殴りたかった。
でもガキの頃からいつも母に喧嘩はダメとか言われて殴れなかった。
そして心が折れた時に両親が気付け、キモいやつら一号と二号を訪ねた。
が、あいつらも隠れていた!!
体育の教師が体育室の物置屋(?)に入って鍵かけてた。30分ほど母がまっててやっと出た。予想外であいつが動けなかった。
あ、ちなみに父は拳的に一撃必殺で母が言葉使いが怖いほど美味かった。一言必殺。
つづく
別れなんて、いつ来るか分からないから、できる時に親孝行した方がいいよ!
教室でオシッコむらしました💦
ええ話やないけ、...カットやな(浜ちゃん風)(о´∀`о)
(本人には面と向かって言えない)