_var_mobile_Media_DCIM_151APPLE_IMG_1975.JPG
写真に写っている男性は、ジャン・レノではなくうちの父である。

登校拒否の原因は、担任が少し怖い人で、毎日小さな事で怒鳴り、授業が止まる事は日常茶飯。トイレに行きたいと手を挙げた子を叱り、教室でお漏らしをさせるような先生だった。お弁当の時間に箸を忘れると、他のクラスは少し注意されるくらいで、先生が割り箸をくれるのだが、うちのクラスは手で食べなければならなかった。
今でこそ大問題だが、当時の私達は怖くて、誰も声を上げられずにいた。しかしそんな子供達の異変にもちろん親は気付く訳で。父兄の度重なる抗議により、その先生は異動となった。
私の母校はとにかく子供達を伸び伸び遊ばせ、学ばせるがモットーだったので、いい先生方ばかりだった。私の知る限りこの様な事態が起こったのは、この一回きりだ。そんな先生に、私は不運にも当たってしまった。

朝起きるとお腹が痛くなる。寝起きが信じられないくらい悪い私は、毎朝出社する父の車に乗せて貰い、学校まで爆睡しながら送って貰っていた。しかしその期間だけは、ずっと窓の外を眺め、学校の景色が近づいて来る度に消えてしまいたいと思っていた。案の定、校門に着くと車を降りたくなくなる。
学校は休まなかったが、毎朝玄関で「行きたくない」とゴネていた。
そんなある日、車を降りる直前、父に呼び止められ、こう言われた事を今でも鮮明に覚えている。 

「華怜を泣かせる奴はパパがぶっ飛ばしてやるから、心配するな。」

「うん。」とだけ言って車を降りた。
「うん。」としか言えなかった。

とても驚いたと同時に、涙が止まらなかった。なんで泣いてるのか自分でもよく分からなかったが、「あの人は私の父親なんだ。」と言う実に当たり前な実感がその時はとても嬉しかった。そして、父がそんな事を思ってくれていたなんて、私は微塵も感じ取れていなかった。
何故なら父は、私が可愛くないものだとばかり思っていたからだ。

父の弟に娘が生まれた時、父はひどくその子を可愛がった(ように見えた)。
「パパはあの子の方がかわいいんだ」と人生で初めて嫉妬と言う感情に出逢った私は、父と距離を置くようになった。

会社から帰ってくるのがだいたい夜の8時。その頃には私はもう布団に入っていることが多かった。けど父と話したくて、こっそり父が晩ご飯を食べるのを、台所の陰から見ていた。
父の夕飯は決まって、冷奴とポテトチップス。健康に気を遣っているのかいないのか、実に謎な献立だ。母も私もいないリビングで一人、CSで放送されている動物のドキュメンタリー番組を見ながら晩酌をしていた。ポテチに時々、臭いビネガーをかけて食べるのが好きなようだった。
そんな父との唯一の二人きりの時間が、朝の車の中だったのに、私は毎日爆睡をかましていた。今思うと、もっとあの時間を大切にしていればと心から思う。
しかしその時の父の言葉で、私の心は一気に溶けていった。

Rmlns5AiQr.jpg

私が「女優さんになりたい。」と初めて口にした日、母は、「いいじゃない!」と言った。
けど父は珍しく真剣な顔をして私の目をじっと見つめ、こう言った。

「女優さんになるのは、本当に大変だぞ。辛いことも苦しいこともいっぱいあるんだぞ。それでもお前はやりたいんだな?」

正直、まだ7、8歳の娘が軽い気持ちで口にした夢に対して突きつけるには、早い現実のように思うだろう。けれどこの時父は、今の未来を予見していたのかもしれない。私が"軽い気持ち"じゃない事を感じ取ってくれたから、父も幼い娘に対して真剣に向き合ってくれたのだろう。私も幼いながら、それを感じ取った。父の目が、娘を見る目ではなく、タレントに接する時の目に変わったからだ。よちよち歩きの頃から会社で父の仕事を見ていたから、それくらいは分かった。その気持ちに、私も真剣に応えなくてはならないと思い、その日から私の夢は一度も変わっていない。
父はよく私に、

「自分で決めなさい。」

と言った。何から何まで決めたがる母を制し、よく私に自分で物事を選ばせようとしてくれた。
私はあの日女優になると言う夢を、自分で決めた。

私にとってお芝居とは、何よりも好きな事であり、生き甲斐であり、父との約束である。