今日は3月11日。
気がつけば、東日本大震災から10年の月日が流れていました。
本日出演させて頂いた、J:COMさんの特番、「震災をこえて〜みんなでつくる地域の未来〜」と言う番組の議題にもあがっていましたが、今では被災地の子供の6割が、東日本大震災を知らないとされています。
その事実に衝撃を受けましたが、10年経っているんだから、そりゃそうだ、とも思いました。
それでもなんだか、実感が湧かないんです。
それくらい、大きな災害だったからなのかな、きっと。
被災して上京して、そのままアイドル活動を始めました。
母親と夜行バスを乗り継いで東京に着いたとき、お腹が鳴りました。
母に、「なにが食べたい?」と聞かれて、私はすぐに答えることが出来ませんでした。
だって、今も仙台に残してきた父と祖父母は、一つの握り飯を3人で分け合って食べてるから。
一杯の豚汁を、一枚の新聞紙を、ご近所さんと分け合って生きているから。
それを知っていても、お腹は鳴りました。
「マック。」と私は答えました。
後にも先にも、あんなに美味しくて、あんなに味のしないマクドナルドを食べたのはこの時が最後でした。
私だけ贅沢できない。
私は一人で逃げてきた。
だから何か掴まないと絶対に帰れない。
こんなの全然辛くない。私の地元には今、もっともっと辛い思いをしてる人たちが沢山いる。
泣くな。泣くな。がんばれ。立ち止まるな。
そんな感覚が、ずっと、ずっとありました。
今思えば、48グループを卒業するまでの私は、そんな"自分へのプレッシャー"と言う鎧に身を包んで、ずっと何かと闘っていたのかも知れない。
と、最近ふと思います。
10年間、色んなことを経験しました。
嬉しいことも、悲しいことも
悔しいことも、幸せなことも。
幼少期からの夢であった、女優になると言う夢を叶える為、AKBを卒業してからも、私の心には常に故郷があって、
その時気付きました。
私が頑張る理由が、故郷なんだ、と。
どんなに嫌われても、私がこの10年間一人でも立っていられた理由が、故郷にあったんです。
東北の存在が無ければ、とっくに辞めて泣きながら仙台に引っ込んでたかもしれない。
東北のみんなの声援がなければ、マイクなんか投げ出して、逃げ出してたかもしれない。
100人に嫌われても、あなたの「頑張れ」に、私は何度も救われてきたんだよ。
ありがとう。
10年頑張ったって私はまだまだまだまだちっぽけで、微力な存在だけれど、どうかこの声がみんなに届きますように。
この10年間、私を支えてくれて本当に
ありがとう。
今日まで一緒に生きてくれてありがとう。
明日から、また新しい10年が始まります。
「また明日。」って言える幸せなんて、もう二度噛み締めたくないから
だから毎日、明日が来ることに感謝して、大切な人には毎日、「また明日ね」って言うんです。
愛してる人には「愛してる」って言うんです。
東北を背負う、なんてかっこいい言い方は出来ないけれど、
これからも私は、故郷を大切に大切に抱き締めて歩いて行くから
また10年後、今日のことを思い出してくれたら嬉しいな。
そして、その日まで頑張った自分を、全力で褒めてあげてください。
私も今日だけは、自分のことを褒めてあげようと思います。
それじゃあ、
また明日。