「ソーシャルメディアの台頭」(10/15)
どうもこんにちは
第3回の記事を書き終わってすぐ、この記事を書いています(つまりこの記事を書くのに2週間かかっているんだよ。
うわっはっはっはっ。)
最近思うんですけど
文章書くのって難しいな
自分が読むと意味分かるけど、他人にとっては読みづらい文章になってるんじゃないかみたいな
みなさんは誰かのブログって読んでます?記事単体ではなく、特定の人のブログです
私はとあるブログをのぞくのが日課なんですけどその人が書く文章が「読ませる」文章といいますか、とても読みやすいのです
私もそんな記事を書きたいなと思いながら日々スマホの画面と格闘してます
まあこれ半分ブログで半分レポートだから読みづらいのは仕方ないのだろうか、いやしかし...
今の形式がいきなり変わったら、謎に方針転換したんだなと思ってください
そんな感じでまたレポートを書いていきましょう
↓今日のよこたんハイライト①
8年目のSNSとのつきあい方
本日(10/15)の動画。
SNS、特にTwitterっていろんな使い方があるんだろうな、と思います。顔も知らない誰かとつながるためのツールであったり、仲間と語り合える居場所であったり、愚痴や独り言を吐き出すための場所であったり。どんな使い方をするにせよ、自らネットの海に情報を投げ入れているということ、不特定多数の誰かに見られる可能性が常にあるということは、自覚しておく必要があるでしょうね。
出てくる出てくる ソーシャルメディア
2001年、首相として初めてメルマガを発行した小泉純一郎元首相。
最盛期には225万人以上(ココ重要)が購読する超人気メールマガジンでした。全250号、総発行部数4億5000万。平均すると1号につき180万部ですってよ奥さん。
2008年、Twitterを使って選挙で当選したオバマ元大統領。
選挙後に発覚したことだけど「中の人」は本人ではなく秘書。(これがきっかけでTwitterの「認証バッジ」が生まれた)2015年に「本人」がアカウントを作った際、「Really!」って言っているのはそういうことなんでしょうか
Hello, Twitter! It's Barack. Really! Six years in, they're finally giving me my own account.
— President Obama (@POTUS44) May 18, 2015
2010年、元旦にTwitterを始めた鳩山元首相。
当時日本ではあまり知名度のなかったTwitterが広く知られるきっかけになりました。
2011年1月の「アラブの春」。
ソーシャルメディアが政権ひとつを崩壊させる出来事でした。
(画像は講義レジュメより)
アカウントを乗っ取られるより早く新しいアカウントが作られ、ネットが遮断されるより早く情報が行き渡っていた。
ソーシャルメディアのスピードってすごいね!
↓詳しくはよこたんのブログで(丸投げ)。
2011年3月11日、東日本大震災。
当時日本のスマホ普及率は20%以下でしたが、この日Twitterの投稿数が急増し、Twitterの利用が増加するひとつのきっかけになりました。
LINEの開発もこのことがきっかけ。
そんな感じで、ソーシャルメディアはこの十数年でどんどん世界を飲みこんでいったのです・・・(語り口調)
(講義レジュメに加筆)
試しに見たことあるやつと使ったことあるやつにマルをつけてみました 知らないやつの方が多い...
自分からは発信せずに見るだけ、って人も結構多いのかなと思います
ちなみに
(画像1枚目は講義レジュメより)
はて、おかしいな。小泉総理のメルマガよりフォロワー少ないぞ?
これには理由があるようで
Twitter(国内利用者4500万人)は「誰をフォローしているか、他の人から分かってしまう」ため、政治の人々のフォローはなんとなくしにくいようです。(あとタイムラインにあんまり来てほしくないからでは)
その証拠に、
「誰を登録しているかなんて誰にも分からない」LINE(利用者7600万人)の登録者数は400万人近い(2018.10.30現在)ですからね、首相官邸。
今は小泉総理の頃よりも情報の発信手段が増え、我々も選択肢が広がりました。様々な媒体で情報を手に入れることが可能になったのだと思います。
各種サービス、もろもろの違い
ソーシャルメディアを使うとき、なんといっても必要なのは「自分の情報」です。それがハンドルネームであったり虚偽の情報であっても、とりあえず「情報」がなければ誰からも認識されないし、誰ともつながることはできないでしょう
それでまあ
皆さんはどうですか
ネット上に自分の情報、どれくらいまでのせてますか
もちろんサービスによって違ったり、つながる対象がいわゆる「リアル」か「非リアル」かでも変わってくるでしょう
何はともあれ個人情報は大切なものです。そんな個人情報にかんするデータがこちら
(画像は講義レジュメより)
(Facebookって実名じゃないと使えないんじゃなかったっけ)
個人的にLINEは「大人になったらみんな本名」のイメージがあったのですが、そうでもないんでしょうか?
Facebookは個人情報の塊のような感じですね、流石ネット上の電話サービスと言われるだけはあります。
全体的には、多くの人が個人情報に慎重であるように思います
どのソーシャルメディアでも、本名や顔写真など「個人の情報」がなければその人を見つけるのは困難になるでしょう、あったかもしれない「つながり」を逃すことになるかもしれません。でも、だからといってなんでもかんでも情報を公開していたらちょっと怖いですよね。
どこまで情報を出すのか、それもまたリテラシーなんですね。
話はちょっと変わって
LINE、Facebook、Twitter
全部使ってる方ってどのくらいいるんでしょう
日本の3大ソーシャルメディア(異論は認める)ですが、各々がしっかり存在できているのは、それぞれが特徴を持っていて、それぞれの需要があるということでしょうね。その特徴の一つにはきっと「人とのつながり方」があるでしょう、こんな感じの。
(画像は講義レジュメより)
「リア垢」と「非リア垢」が混在するソーシャルメディアはTwitterくらいでしょうか、他二つは完全に「リアル」のためにあるイメージです
顔も名前も知らない他人とつながり、関係を深めることができるTwitter。「弱い絆の強さ」というのでしょうか、相手を「知らない」からこそ、気軽に相談したりされたりできるのでしょう
しかしいずれのソーシャルメディアでも忘れてはいけないと思うのは、1つのアカウントの中には自分と同じような「生身の人間ひとり」が入っているということ。これを意識しないといろんなトラブルにつながることは明白でしょう。
「消費」とソーシャルメディア
なにかほしいものがある時、ネットを使って情報を集める方も多いと思います。
多くの消費者が買い物の意思決定のために検索エンジンを使う中、「検索したキーワードで欲しい情報が見つからない」と困っている人も一定数いるようです。
私にも以前、欲しいものがありまして
割と大きな買い物になるようなものを、なんかいい感じのないかなあと検索していたのですが、どれがいいのか全然わかんねえ...って感じでした
いろんな種類、値段があるんですけど
できることは同じで、保証とかも似たり寄ったりで
どれでもいいといえばどれでもいいのですが、「選択する自由」がなんだか苦しい...。
結局、たまに読んでいたブロガーさんのおすすめを買いましたとさ
(性能はばっちりでした)
こんな感じで、少しでも「知っている人」の意見があったら、全く知らない人のそれよりも優先的に参考にする消費者は多いようです
この場合、「買ったもの」よりも「誰の意見だったか」ということが重要視されていますよね
ある商品についての情報が伝播していく際、一方通行で情報が与えられる「マスメディア」が画一したイメージを伝えるのに対し、様々な人の意見や考えが四方八方に飛び交う「ソーシャルメディア」では、発言した「個人」と「商品」が結びついて捉えられたりすることで、また違ったイメージを伝えるんですね。(「ソーシャルメディア上の企業」とて「個人」の例外ではありません)
(画像は講義レジュメより)
ソーシャルメディア登場以前の、マスメディアの隆盛時とはこんな違いがあるようです。
「言いなり」、「立ち向かう」なんて意識がある消費者はそんなにいないとは思うのですが、実際こういうことですよね。
昔だってマスメディアだけじゃなく「口コミ」等もあったでしょうが、検索エンジンやソーシャルメディアの登場によって、「信頼性の高いもの」を自分の手で選ぶための判断材料がより豊富に、より手に入れやすくなったのだと思います。
こんな感じでリアルはもちろん、ソーシャルメディア内でもコミュニティが作られることで「企業」という部外者の売り込みが通用しなくなっているんだとか。
でも逆に言えば、ソーシャルメディアをうまく使うことで新たな顧客を獲得できたりするのではないでしょうか
某大河ドラマは本編の面白さもさることながら、ハッシュタグが作られたり感想やらファンアートやらが大量に投稿されたりと、Twitter上での盛り上がりが凄かったのを記憶しています。
そこへさらに「公式からの情報」という最大級の燃料を投入してくれるのがN◯K。
プロデューサーがリアルタイムでお話の解説、裏話をしたり、Twitter上で話題になった事柄からインタビュー記事を作ったりと、「SNSを利用した戦略」も高視聴率の秘密だったのだと思います。
(「ソーシャル大河」なんて呼ばれたりもしていたようです)
人とのつながり、どう変わる?
ソーシャルメディアを中心としたアレコレを書いてきました。もう少しだけお付き合いください。
インターネット、そしてソーシャルメディアの台頭により、「人とのつながり方」も多様化しました。
たとえばこんな風に。
(画像は講義レジュメより)
画像に『リアルから始まった繋がりは最も大切に』、とありますけど
本日の動画でも言われていたようにSNSから始まって長く続くつながりだって沢山ありますし、どちらも本質は「生身の人間達のコミュニティ」であり差異はないと個人的には考えます。「リアル」より大切にするケースもありえるんじゃないかな。
まあ少なくとも、多様な人々の多様な考えに触れることが容易になったのは確実ではないでしょうか。
ソーシャルメディアを使い様々なつながりをもち、交流しつつも、生身で触れ合える距離にいる人たちとのつながりも大切にしていくことができれば、善い人生を送れそうな気がします。
はい
講義とそれについての自分の意見のまとめ(まとまってるか?)はこのくらいですかね、おつかれさまでした。
超余談
今回の講義で、ダンバー数というのが出てきました。深く付き合える友達の数は、150人が限界であるという法則です。よって「150人」という数字が、コミュニティの形成に最も適しているんだとか。TwitterやFacebookで作られるコミュニティも、平均するとこのくらいの人数なんだそう。本能的にこの法則を理解しているのでしょうか。
それはともかく、この話を聞いて真っ先に頭に思い浮かんだのが高校倫理で出てきたシャルル・フーリエの「ファランジュ」。「1620人」で農業を中心に生産・消費を行い、共同で生活するというコミュニティです。1620人全員が家族で、子どもは「共同体の子ども」と扱われる、そんなコミュニティ。実現は叶わなかったようですが、実現したとしてもうまくいったかどうかは、ダンバー数の法則のことを考えると微妙だったんじゃないかなあとか思ったりしました。
(『1000人以上の集落は、宗教や儀礼のような共通のルールが発達し成立している』と講義のレジュメにはありましたが...ファランジュにも確かにルールはあるのでしょうが、『顔合わせをしなくなると、...6年も経つと、ほぼ完全に切れる』ともありますし。1620人もの家族と、毎日顔合わせることなんてできます?)
そんなわけで、超余談でした
それでは今回はこの辺で
ここまで読んでいただきありがとうございました。
↓おまけ 今日のよこたんハイライト②
昔は学校を卒業したらはいさよなら、次会えるのは同窓会って感じだったのが、SNS(特にLINE)の登場によって変化したと。
確かに「連絡の取りやすさ」は格段に上がったと思います。しかし「実際に」連絡を取って話をするかどうかは結局は個人の「意思」による、というのは昔も今も変わらないのではないだろうかと思いましたまる
↓横田秀珠講師、即ちよこたんのブログ