月別アーカイブ / 2016年05月

新型色鉛筆サクラクーピーペンシルが
僕の前に現れたのは小学校3年生の時だったか

まず何より驚いたのが
色鉛筆なのに消しゴムで消せることと
芯が折れないこと。

さらにそれまで12色が当たり前だった色の数が
24色36色48色ついには60色と増えていったこと。

とはいっても、中流家庭の僕たちが買ってもらえたのは
相も変わらずの12色が関の山。
それでも買ってもらえるだけ中流の上で
買ってもらえないのが普通。
「今の色鉛筆がなくなったら」と言われて
白い紙をひたすら塗って
必死に減らしたりする悪知恵も。

で、上流家庭の子が24色
リッチもリッチなおぼっちゃんK君が
夢の60色を買ってもらった。

もう宝石箱のような色彩の鉄製の缶に並ぶ60色のクーピー
この世の色はすべてここにあるんじゃないか
と思うほど。もう頭がくらくらした。

当然K君は自慢する自慢する。
「K君様、どうか私にあおみどり色とたまご色を貸してくださいませんか」
なんてこびる僕たち。
勿体ぶるK君。
当然嫉妬する嫉妬する。

「なんだよえらそうにしやがって、たいして絵がうまいわけでもないのにさ」
「さくらがい色とかふじむらさきとか何に使うんだよ」
「ねずみ色と灰色の差ってなんだよ!」

と言いたい放題。
すると、K君はよほど悔しかったのか、
次の夏休みの絵の宿題に、60色すべてを使った絵を描いてきた。

その題材は
「クーピーペンシル60色」
そのままクーピーペンシルの絵を描いてきたのだ。

これには笑うやら恐れ入るやら。

ついでに思い出したことは、
図工の女性の先生が、写生会で行った森林公園で
「色数が少ないから上手に森が描けない」と
拗ねる僕の前で、緑と黄緑と青と黒と黄色を使って
鮮やかな森を描いたのを見て魔法に見えたこと。

あれを機に好きだった図工が大好きになったと思う。
藤沢先生といったか。
どうしているかしら。


深夜のラジオで
テンションを上げまくって
どうかしてることを二時間もノンストップで
怒鳴り続けると、
なんだか脳が興奮して、なかなか寝付けない。

以前だったら、赤坂から池袋方面まで
歩いて帰ることで体を疲れさせるとともに
クールダウンして、
それでもダメなら、
家でゆっくりゲームをしてから寝たりしていたのに
この4月からは

午前3時に深夜放送が終わると
午前6時半からはじまる
朝の番組の打ち合わせに備えて
そのまま有無をいわさず、
スタジオの床に敷いたマットレスで
半ば強制的に寝るものだから

心と体のバランスがおかしいままになるのか、
毎週変な夢を見る。
今朝は、寝る寸前まで一緒にラジオをしていた
スタッフの渡辺くんが急に死んでる夢で
悲しくて泣くやら、自分が疑われたらどうしようと焦るやら

(夢のなかの僕は、僕が勧めたフグ肝のパティを
 パンに塗って食べたせいだ、、、と理解して震えていた。
 パティの入った瓶のラベル『何もかも旨し』と書いてあった
 なんじゃこりゃ)
 
目を覚まして事態を理解して
一旦トイレにいくと
もう永久に終わらないのではないかと思うほど尿が出た。
スタジオの寝床に戻る途中
件の渡辺くんにばったり。

あれほど、心配かけたくせになんの詫びもない。
やっぱり現実の渡辺くんはいつもどおりムカつくやつだな。
と思い再度寝た。

しばらくなれるまでかかるだろうが、
当面の心配はオネショだ。
 

ちょっとアレでね。
ちょっとアレな感じでね。
ちょっとアレな感じの人でね。
といった風に使う便利な言葉「アレ」。

伊集院光とらじおと、月曜日の人気コーナー、
自分で「人気コーナー」って書いちゃうのもアレだけど
伊集院光とらじおとアレとの
アレコード。

アレなレコードを、アレコードコレクターに紹介してもらう企画。

その昔、別のラジオ番組で
「おば歌謡」というジャンル名をつけて
同じような楽曲を集めていたが、

コンピレーションアルバムを発売するにあたって
楽曲の権利者のごく一部から「バカとは何だ!?」
って話になっちゃって、承諾にえらく時間がかかっちゃった
という反省を踏まえての「アレコード」。

アレコードのコレクターは有名無名を問わず
この業界内にたくさんいて、

みうらじゅんさんに、クリス松村さん、なぎら健壱さん、
鈴木慶一さん、コモエスタ八重樫さんさえきけんぞうさん、

知る人ぞ知るこの世界の実力者として
湯浅学さん、岸野雄一さん、、、

お呼びする方お呼びする方
腕によりをかけて、秘蔵のコレクションを持ってきてくださる。

今日、岸野雄一さんが教えてくれた
池田ムツ子さんの新宿家出少年

中林章さんの根無し草
のインパクトと来たらもう。

コレクターの皆さんと話していて面白いのは
アレコード(こういう癖のある楽曲)には、
聴き時というか旬みたいなものがあって
ある日突然発酵して食べごろになるような
作品がある(気がする)という。

例えば、国武万里さんの1993年発売のヒット曲
「ポケベルが鳴らなくて」とかは
名曲のはずだけど「ポケベル」っていうもの自体が
「アレ」な感じになってしまった後だと
少しづつ美味しくなってくるって感じ。

だって「モールス信号でアイラブユー」って歌があったら
まじめに歌っていればいるほど面白いでしょ?
ないけど。

難しいのは、コレクター間ではすでに
「『夢のハワイで盆踊り』は知ってて当然だよね」
「リスナーの皆さんも『ディスコ芸者』は知っているだろうし、、、」
ってなってる曲でも、
リスナーからすればはじめましてで、大爆笑なこと。

その辺のレベル調整は、
スタッフみんなで話し合って決めています。

リスナーの中でもアレに詳しい方からの反応で
「今回の『宇宙旅行の渡り鳥』はベタだったなあ」
なんてのもありますけど(紹介したなぎらさんも「これは入門編ね」と言ってた)、
世間一般からしたら「ベタ」じゃないと思う。
「アレ」だと思う。

少子化で一人っ子が多かったり、
ユニクロ的な安い衣服がそこそこあったり
の今の世の中でも
「お兄ちゃんのお下がり」
っていうのはあるのかしら。

ヤフオクなんかを見ていると、
中古の子供服はたくさん出ていて
「すぐに成長して着られなくなってしまうから
 子供服は中古でいいの」
なんて、方針の賢いお母さんは
たくさんいらっしゃるようですが 。

僕が子供の頃は、
我が家の四人兄弟は少し多いにしても、
一家に二人三人の子供がいたし
東京の下町のワイルドなところで育ったので
かなり傷んでいても、お下がりを着るのが当たり前で、
中には「ついにあのシャツが下がってくるんだぜ!」
って喜んでいる奴もいたりして。

ちなみに
「子供なんだから暖かい季節は上半身裸でもいいんじゃね?」
って時代はすでに10年前に終わっていました。

さて、そんな昭和40年代終盤から50年代前半の
僕の家の事情は少し違う。
それは、僕がでかかったから。
しかも五歳上の兄は逆に小柄な人で
僕のお下がりを兄が着る
という「お上がり」状態。

中学生になると、
僕はぐんぐん大きくなっていったので
制服のYシャツなんて、
僕が入らなくなったものを父親(中肉中背)が着る
という、とんでもない現象まで。

母親が、僕から兄に渡る際に
ちょっとかっこいいワッペンを
胸につけてリメイクしたのを見て
あげるのが惜しくなって泣いては
「あんたはもう入らないでしょ!」
って怒られたりしてたな。
 

社交性の塊こと
うちのかみさんの
周りには、人の輪ができる。
なぜ、数分しかいない空港の売店で
店員さん数人とゲラゲラ笑っているのか?

一応、お喋りのプロ?である
僕からすると、
基本もクソもない話し方で

説明不足だったり
話す順番がわかりにくかったり
同じことを繰り返し話したり
つい横から付け足したり
突っ込んだりしたくなるのだが

周りが爆笑しているので
あれでいいのだろう
少し離れた場所でほっておくことに。

不思議な人だよ。

レジのおばさんの孫に
来年何色のランドセルを買えばいいか
みたいな会議だったそうで。

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