月別アーカイブ / 2019年10月

中学の同級生に伊藤という男がいる。僕が休み時間の教室でELLEGARDENを聴いているのを見て話しかけてくれたのが、彼との初対面だった。音楽の話をできる友達がクラスに居なかったので、すごく嬉しかった記憶がある。

伊藤は当時、周りのクラスメイトより少し大人びた所があるように僕には思えた。映画や音楽の知識が豊富だったし、彼が作ってくれたミックステープがキッカケで僕はTHE GET UP KIDS、WEEZER、eastern youthなんかを聴き始めたのだった。

そしてハンブレッダーズを結成するより1年早く、伊藤は既にバンドを組んでいた。THE FULL TEENZというバンド名は、とある映画に出演していた夏帆のセリフ「TEENをFULLに楽しめ!」から付けたらしかった。その辺のセンスも大人っぽくてなんだか良いなーなんて思っていた。高校2年の文化祭に出演した時、フルティーンズがすごくカッコよくて、悔しさで涙してしまったのを憶えてる。

コピーバンドとして始まったハンブレッダーズがオリジナル曲を初めて作ったのも、伊藤から「そのうちフルティーンズで、オリジナル曲作ろうと思ってんねん」と聞いたからだった。"誰かの為に"なんて大それたことを思ったわけでは無く、ただ単純に負けたくなかったのだ。


初ライブの文化祭が2009年の10月31日。今月末で、あれからちょうど10年が経過する。高校の友達のバンドはみんな居なくなったけれど、お互いメンバーも音楽性も当時とまるっきり変わってしまったけれど、 THE FULL TEENZとハンブレッダーズはしぶとく息をしている。伊藤と会う度に「お互いまだバンドやってるの、ヤバくない?」と冗談交じりに笑ってしまうけれど、僕は内心THE FULL TEENZが今も存在していることにかなり励まされているし、勇気付けられている。


今日は京都のボロフェスタというイベントに出演した。来てくれた人はわかると思うのだけれど、見てくれはハリボテっぽく、スタッフがみんなイキイキと働いていたり、まるで文化祭みたいな最高なフェスだ。今年は違う日程だったけど、THE FULL TEENZもボロフェスタに出演していた。

まるまる10年が過ぎた今でもまだ、お互いのバンドが文化祭に出演し続けているという事実が、なんだかおかしくて、愛しく思えた一日だった。20年後も、こんな風に続けていられたらいいな。
この曲、本当にいいんだよなー。

自転車に乗れない。厳密に言えばママチャリに体重を預けてペダルを漕ぎ、平坦な道を進むことなら出来る。しかし『立ち漕ぎ』という超高難易度ドライブテクニックをいつまでも習得できず、坂道に遭遇すると太刀打ちできなくなってしまう。幸いにも僕は学生時代を電車通学で過ごし、今までの人生において自転車に乗る必要性を感じたことが無かったのだ。

自分がうまく乗りこなせないせいか、自転車という存在をなるべく遠ざけて25年間を過ごしてきた。ラブコメ漫画を読んでいても自転車に2人乗りして坂道を下るシーンは「危ない…危ないよ…」と思ってしまってなかなか感情移入できない。どうして皆、当たり前の顔をして自転車に乗れるのだろう。


2年ほど前。東京の下北沢にERAというライブハウスでイベントを開催したことがある。東京のtonetoneというバンドと共催のイベントだった。tonetoneのボーカルの田村さんは優しい人で、僕は東京に滞在する時によく彼の家に寝泊まりさせてもらっていた。田村さんの家は下北沢からも近かったため、そのイベントの前日も僕は田村さんの家に泊まっていた。

当日、僕がERAに着いたのはちょうどtonetoneがリハーサルを始める頃だった。僕らも自分達のリハーサルの準備を始める。ケースからギターを取り出しチューニングをしたところで、重大なミスに気がついた。

無い、無いぞ。エフェクターが。あろうことか僕は、田村さんの家にエフェクター一式を忘れてしまったのだ。

楽器に精通していない人の為に分かりやすく説明すると、エフェクターとはギターの音色を変えたり音を大きくしたりする機材で、普段エフェクターを使っているミュージシャンは、エフェクターが無いとライブが出来ない。tonetoneのリハーサルは30分。次はハンブレッダーズのリハーサルだ。30分以内に田村さんの家までエフェクターを取りに行って、ERAまで帰って来なければいけなくなってしまった。

しかし田村さんの家はERAからそれほど近くはない。全てが円滑に進んだとしても40分はかかってしまうだろう。リハーサルには間に合わない。途方に暮れかけたその時だった。

「あ、ムっくん忘れもの?これ使っていいよ」田村さんステージ上からこちらに何かを投げてくる。僕は無いはずの運動神経を全力で研ぎ澄ましそれをキャッチする。ハズが、あえなく失敗する。地面に落ちた鉛色のソレは自転車の鍵だった。

なるほど!自転車に乗って行き帰りすれば、30分以内に戻ってこられるかもしれない。不可能と思えたエフェクター救出劇に、一筋の光明が見えた。「建物出たとこに停めてあるから」「ありがとうございます!」家に泊めてもらって、自転車まで貸してもらって、田村さんには感謝してもしきれない。絶対に間に合うように帰ってくるんだ。早足でERAの外へ向かった僕の目の前に飛び込んできたのは

「マウンテンバイクだ…」思わず声に出ていたと思う。ゴツゴツとした岩のようなタイヤ。鋭い爪のように細長く尖ったサドル。ママチャリにすら満足に乗れない僕の目には、マウンテンバイクは異形の怪物のように映った。乗れない。こんなものに乗れるハズがない。あまりの自分の不甲斐なさに、ぎゅっと下唇を噛んだ。

しかし、田村さんがせっかく貸してくれた自転車。乗らなきゃリハに間に合わないことも目に見えている。決意を込めた指で鍵穴にキーを差し込む。あまりにも高く設定されたサドルに跨ると、尾てい骨をこれでもかというくらいに圧迫される。痛い。僕が何をしたって言うんだ。涙が出そうになる。負けてたまるものか。そうだ、僕は今日、これを機に自転車を克服するんだ!

ペダルに右足を乗せ、左足で思いきり地面を蹴った。あれ?乗れる。乗れるぞ。思ったより乗れる!ふらついてはいるが、マウンテンバイクはちゃんと前に進んでくれる。なんだ、やれば出来るじゃないか。今まで乗ってこなかっただけで、俺は自転車に向いているかもしれない。

調子に乗ったのも束の間、ERAから下北沢駅へ向かう道は下り坂になっており、車体はみるみるうちに急加速をしていく。ブレーキをめいっぱいかけるが、マウンテンバイクは予想を遥かに超えたスピードで風を切る。ヤバいヤバいヤバい!皆どいてください!もうダメだ!助けて!走馬灯のように記憶が脳裏を霞める。運動会で母さんが作ってくれた卵焼き、ほんとうに美味しかったな。

生死の狭間を彷徨いながらも自転車は下り坂を越えることに成功する。徐々にスピードを落とし、平坦な道路へ出る。怖かった…とんでもなく怖かったけど、ここから先は坂道が無い。もう安心だと思ったけれど、僕の目論見は甘かった。

休日の真っ昼間の下北沢。そこは大量の若者で溢れかえっている。人通りの多い場所では、自転車は自慢のスピードを全く出せず、ゆっくりと走行することしか出来ない。この血に飢えた獣をコントロールし、人混みの中を歩くような速度で走行することが、この僕に出来るだろうか?

だけど僕はミュージシャンだ。リハーサルに遅れるだなんて、そんなことは絶対に許されない。そして少し考え方を変えればこれは、千載一遇のチャンスだ。負けてたまるものか。そうだ、僕は今日、これを機に自転車を克服するんだ!

僕は自転車から降り、手押ししながら田村さんの家までたどり着き、しっかりと首輪をかけて置き去りにし、がっつりと遅刻してERAまで徒歩で帰ったのだった。

次の作品はTOY'S FACTORYからリリースする。ハンブレッダーズは来年、所謂メジャーデビューをすることになる。メジャーデビューが決まり、1番最初に頭に思い浮かんだ言葉は、「みんな喜んでくれるといいな〜」だった。自分の嬉しい気持ちとか、現実的なアレコレなんかは後からジワジワとやってきた。これはきっとキジマもでらしも同じなんじゃないかな。今日の夜に発表をして、ツイッターでたくさんの「おめでとう」という言葉を見て嬉しかったです。ありがとう。

メジャーデビューは結果ではなく、手段だ。「おめでとう」と言ってくれる人に対してはありがとうと素直に思うけれど、僕はこれを誇るつもりも驕るつもりもない。「さあメジャーに行けたから安心だ」なんて気持ちは微塵もないし、そもそも音楽に対して"売れたもん勝ち"なんて価値観は非常に傲慢だと常々思っている。僕ら3人は、ハンブレッダーズがこれから音楽活動をする理由や意味を考え、メジャーデビューという1つの道を選んだに過ぎない。

ビニールの袋からCDを取り出して再生する時のドキドキや、ライブハウスで好きな曲のイントロが流れて自然と体が踊り出すときの気持ちや、いつの間にか鼓膜にこびり付いて離れないメロディ。名前も顔も知らない僕らが音楽を通じ、孤独なままで感動を共有できる一瞬の永遠にこそ用がある。決して一筋縄ではいかず、ラベルの付けられない価値や勝ちがあると信じているから音楽をやっているんだ。

そしてそれらの感動はもれなく、貧乏にも金持ちにも、古参にも新参にも、善人にも悪人にも、きっと平等に訪れるハズだ。ここがブレたらハンブレッダーズは終わりだと思っている。

そして変わらないことが大事とはいえ、時代や年齢と共に変化してきた自分の心には寛容でいたい。変わらない信念を保ちつつ、変わり続け、遊び続けていたい。自分の中の正しさや価値基準を常に疑い続けなければ、素晴らしい作品は生まれないと思っている。

今までよりもたくさんの人に知ってもらう機会が今後増えるハズだけど(じゃなきゃ困る。)要は、僕ら3人は以前とそんなに変わんないと思うので安心してください、という話でした。



ここからは余談。初めてハンブレッダーズがライブをしたのが2009年の10月31日。ちょうど今月末で丸10年になる。

俺は人生の大半をバンドに費やし、随分と内面が変化したと感じている。それこそ高校生の時は「いつか絶対メジャーデビューしてやる!」なんて息巻いてた時期だってあったし、世の中に対してメッセージなんかなく何も考えず音楽をしていたし、思い出したくないような恥ずかしい曲やライブだって沢山。かつての自分は、自分さえ良ければ良い卑屈な人間だったのだと思う。

だけど、でたらめでも続けているうちに「いい曲だね」と言ってもらえることが少しずつ増えてきた。曲を書く時に聴いてくれる人をイメージするようになったり、ライブハウスで自分達を見てくれる人の表情に、逆に感動させられたりした。いつの間にか曲を作ることが、作詞することが、バンドで歌うということが自分ひとりだけのものじゃなくなった。本当の意味での生き甲斐になっていった。

泣き崩れてしまった文化祭の初ライブ。マクドナルドで考えたバンド名。なるべくデカい音でアンプを鳴らした放課後。夢にまで見た自分たちのCD。友達のバンドを見て涙が出るほど悔しくなったライブハウス。飲めないのに無理したアルコール。グダグダのライブをかましたオープニングアクト。打ち上げの後そのまま出勤したバイト。震える手から受け取ったファンレター。歌詞が書けなくて眠れなかった夜。自分たちで考えた不細工なサイン。結局ひとつも優勝できなかったオーディション。そのバンド達とじゃなきゃダメだった企画イベント。全国各地のショップに並んだCDのジャケット。撮影に緊張したミュージックビデオ。最初は武器だと思っていたけれど次第に要らなくなっていった偏見。全国で待ってくれている人たち。ラジオから流れた自分の歌。ワンマンライブでのアンコールの声。

忘れられない瞬間にはいつも誰かが関わってくれていて、みんなが居たからこそ僕は変われたと思っています。今なら胸を張って言える、ハンブレッダーズは俺が生きてきたすべてだ。出会ってくれてありがとう。



とは言え、これまでの10年はこれからの旅路のイントロダクションになる。感動する心さえ捨てなければ、大人になったって青春は続くんだってことを、俺たちはこれから証明しに行かなくちゃいけない。

まずは来年のアルバムでお会いしましょう。僕らの名前はハンブレッダーズって言います。よろしく!

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