自転車に乗れない。厳密に言えばママチャリに体重を預けてペダルを漕ぎ、平坦な道を進むことなら出来る。しかし『立ち漕ぎ』という超高難易度ドライブテクニックをいつまでも習得できず、坂道に遭遇すると太刀打ちできなくなってしまう。幸いにも僕は学生時代を電車通学で過ごし、今までの人生において自転車に乗る必要性を感じたことが無かったのだ。

自分がうまく乗りこなせないせいか、自転車という存在をなるべく遠ざけて25年間を過ごしてきた。ラブコメ漫画を読んでいても自転車に2人乗りして坂道を下るシーンは「危ない…危ないよ…」と思ってしまってなかなか感情移入できない。どうして皆、当たり前の顔をして自転車に乗れるのだろう。


2年ほど前。東京の下北沢にERAというライブハウスでイベントを開催したことがある。東京のtonetoneというバンドと共催のイベントだった。tonetoneのボーカルの田村さんは優しい人で、僕は東京に滞在する時によく彼の家に寝泊まりさせてもらっていた。田村さんの家は下北沢からも近かったため、そのイベントの前日も僕は田村さんの家に泊まっていた。

当日、僕がERAに着いたのはちょうどtonetoneがリハーサルを始める頃だった。僕らも自分達のリハーサルの準備を始める。ケースからギターを取り出しチューニングをしたところで、重大なミスに気がついた。

無い、無いぞ。エフェクターが。あろうことか僕は、田村さんの家にエフェクター一式を忘れてしまったのだ。

楽器に精通していない人の為に分かりやすく説明すると、エフェクターとはギターの音色を変えたり音を大きくしたりする機材で、普段エフェクターを使っているミュージシャンは、エフェクターが無いとライブが出来ない。tonetoneのリハーサルは30分。次はハンブレッダーズのリハーサルだ。30分以内に田村さんの家までエフェクターを取りに行って、ERAまで帰って来なければいけなくなってしまった。

しかし田村さんの家はERAからそれほど近くはない。全てが円滑に進んだとしても40分はかかってしまうだろう。リハーサルには間に合わない。途方に暮れかけたその時だった。

「あ、ムっくん忘れもの?これ使っていいよ」田村さんステージ上からこちらに何かを投げてくる。僕は無いはずの運動神経を全力で研ぎ澄ましそれをキャッチする。ハズが、あえなく失敗する。地面に落ちた鉛色のソレは自転車の鍵だった。

なるほど!自転車に乗って行き帰りすれば、30分以内に戻ってこられるかもしれない。不可能と思えたエフェクター救出劇に、一筋の光明が見えた。「建物出たとこに停めてあるから」「ありがとうございます!」家に泊めてもらって、自転車まで貸してもらって、田村さんには感謝してもしきれない。絶対に間に合うように帰ってくるんだ。早足でERAの外へ向かった僕の目の前に飛び込んできたのは

「マウンテンバイクだ…」思わず声に出ていたと思う。ゴツゴツとした岩のようなタイヤ。鋭い爪のように細長く尖ったサドル。ママチャリにすら満足に乗れない僕の目には、マウンテンバイクは異形の怪物のように映った。乗れない。こんなものに乗れるハズがない。あまりの自分の不甲斐なさに、ぎゅっと下唇を噛んだ。

しかし、田村さんがせっかく貸してくれた自転車。乗らなきゃリハに間に合わないことも目に見えている。決意を込めた指で鍵穴にキーを差し込む。あまりにも高く設定されたサドルに跨ると、尾てい骨をこれでもかというくらいに圧迫される。痛い。僕が何をしたって言うんだ。涙が出そうになる。負けてたまるものか。そうだ、僕は今日、これを機に自転車を克服するんだ!

ペダルに右足を乗せ、左足で思いきり地面を蹴った。あれ?乗れる。乗れるぞ。思ったより乗れる!ふらついてはいるが、マウンテンバイクはちゃんと前に進んでくれる。なんだ、やれば出来るじゃないか。今まで乗ってこなかっただけで、俺は自転車に向いているかもしれない。

調子に乗ったのも束の間、ERAから下北沢駅へ向かう道は下り坂になっており、車体はみるみるうちに急加速をしていく。ブレーキをめいっぱいかけるが、マウンテンバイクは予想を遥かに超えたスピードで風を切る。ヤバいヤバいヤバい!皆どいてください!もうダメだ!助けて!走馬灯のように記憶が脳裏を霞める。運動会で母さんが作ってくれた卵焼き、ほんとうに美味しかったな。

生死の狭間を彷徨いながらも自転車は下り坂を越えることに成功する。徐々にスピードを落とし、平坦な道路へ出る。怖かった…とんでもなく怖かったけど、ここから先は坂道が無い。もう安心だと思ったけれど、僕の目論見は甘かった。

休日の真っ昼間の下北沢。そこは大量の若者で溢れかえっている。人通りの多い場所では、自転車は自慢のスピードを全く出せず、ゆっくりと走行することしか出来ない。この血に飢えた獣をコントロールし、人混みの中を歩くような速度で走行することが、この僕に出来るだろうか?

だけど僕はミュージシャンだ。リハーサルに遅れるだなんて、そんなことは絶対に許されない。そして少し考え方を変えればこれは、千載一遇のチャンスだ。負けてたまるものか。そうだ、僕は今日、これを機に自転車を克服するんだ!

僕は自転車から降り、手押ししながら田村さんの家までたどり着き、しっかりと首輪をかけて置き去りにし、がっつりと遅刻してERAまで徒歩で帰ったのだった。

次の作品はTOY'S FACTORYからリリースする。ハンブレッダーズは来年、所謂メジャーデビューをすることになる。メジャーデビューが決まり、1番最初に頭に思い浮かんだ言葉は、「みんな喜んでくれるといいな〜」だった。自分の嬉しい気持ちとか、現実的なアレコレなんかは後からジワジワとやってきた。これはきっとキジマもでらしも同じなんじゃないかな。今日の夜に発表をして、ツイッターでたくさんの「おめでとう」という言葉を見て嬉しかったです。ありがとう。

メジャーデビューは結果ではなく、手段だ。「おめでとう」と言ってくれる人に対してはありがとうと素直に思うけれど、僕はこれを誇るつもりも驕るつもりもない。「さあメジャーに行けたから安心だ」なんて気持ちは微塵もないし、そもそも音楽に対して"売れたもん勝ち"なんて価値観は非常に傲慢だと常々思っている。僕ら3人は、ハンブレッダーズがこれから音楽活動をする理由や意味を考え、メジャーデビューという1つの道を選んだに過ぎない。

ビニールの袋からCDを取り出して再生する時のドキドキや、ライブハウスで好きな曲のイントロが流れて自然と体が踊り出すときの気持ちや、いつの間にか鼓膜にこびり付いて離れないメロディ。名前も顔も知らない僕らが音楽を通じ、孤独なままで感動を共有できる一瞬の永遠にこそ用がある。決して一筋縄ではいかず、ラベルの付けられない価値や勝ちがあると信じているから音楽をやっているんだ。

そしてそれらの感動はもれなく、貧乏にも金持ちにも、古参にも新参にも、善人にも悪人にも、きっと平等に訪れるハズだ。ここがブレたらハンブレッダーズは終わりだと思っている。

そして変わらないことが大事とはいえ、時代や年齢と共に変化してきた自分の心には寛容でいたい。変わらない信念を保ちつつ、変わり続け、遊び続けていたい。自分の中の正しさや価値基準を常に疑い続けなければ、素晴らしい作品は生まれないと思っている。

今までよりもたくさんの人に知ってもらう機会が今後増えるハズだけど(じゃなきゃ困る。)要は、僕ら3人は以前とそんなに変わんないと思うので安心してください、という話でした。



ここからは余談。初めてハンブレッダーズがライブをしたのが2009年の10月31日。ちょうど今月末で丸10年になる。

俺は人生の大半をバンドに費やし、随分と内面が変化したと感じている。それこそ高校生の時は「いつか絶対メジャーデビューしてやる!」なんて息巻いてた時期だってあったし、世の中に対してメッセージなんかなく何も考えず音楽をしていたし、思い出したくないような恥ずかしい曲やライブだって沢山。かつての自分は、自分さえ良ければ良い卑屈な人間だったのだと思う。

だけど、でたらめでも続けているうちに「いい曲だね」と言ってもらえることが少しずつ増えてきた。曲を書く時に聴いてくれる人をイメージするようになったり、ライブハウスで自分達を見てくれる人の表情に、逆に感動させられたりした。いつの間にか曲を作ることが、作詞することが、バンドで歌うということが自分ひとりだけのものじゃなくなった。本当の意味での生き甲斐になっていった。

泣き崩れてしまった文化祭の初ライブ。マクドナルドで考えたバンド名。なるべくデカい音でアンプを鳴らした放課後。夢にまで見た自分たちのCD。友達のバンドを見て涙が出るほど悔しくなったライブハウス。飲めないのに無理したアルコール。グダグダのライブをかましたオープニングアクト。打ち上げの後そのまま出勤したバイト。震える手から受け取ったファンレター。歌詞が書けなくて眠れなかった夜。自分たちで考えた不細工なサイン。結局ひとつも優勝できなかったオーディション。そのバンド達とじゃなきゃダメだった企画イベント。全国各地のショップに並んだCDのジャケット。撮影に緊張したミュージックビデオ。最初は武器だと思っていたけれど次第に要らなくなっていった偏見。全国で待ってくれている人たち。ラジオから流れた自分の歌。ワンマンライブでのアンコールの声。

忘れられない瞬間にはいつも誰かが関わってくれていて、みんなが居たからこそ僕は変われたと思っています。今なら胸を張って言える、ハンブレッダーズは俺が生きてきたすべてだ。出会ってくれてありがとう。



とは言え、これまでの10年はこれからの旅路のイントロダクションになる。感動する心さえ捨てなければ、大人になったって青春は続くんだってことを、俺たちはこれから証明しに行かなくちゃいけない。

まずは来年のアルバムでお会いしましょう。僕らの名前はハンブレッダーズって言います。よろしく!

みんなよく知らないだろうがキジマという男がいる。俺もよく知っているかと言われるとそうではなく、十年来の友達だがキジマについて未知な部分は多い。


2年前、ハンブレッダーズが遠征で仙台に行った時の話だ。仙台は『牛タン』が有名という噂を聞いていた僕らは、到着して機材搬入を終えた後、牛タンの美味しい店をリサーチし始めた。ライブハウスのスタッフさんに聞くと、駅前にある善治郎という店が有名だそうだ。嬉々として善治郎へ向かった僕らは店についた瞬間、目を疑った。

行列。圧倒的行列。店の外から階段まで続くその行列は、善治郎が超人気店であることを物語っていた。僕らは躊躇った。牛タンが有名な仙台といえど、これほどの行列に並べるだろうか?

しかし、僕ら4人の決意は固かった。何を隠そう、仙台に行くのはその日が2度目。初めて仙台に行った時はスケジュールがタイトで、滞在できる時間はライブを含めて3時間ほどしかなく、牛タンを食べるなどもってのほか。断腸の思いで牛タンを諦め、仙台空港で涙味のずんだシェイクを飲んだ過去があった。

『もはやこの期に及んで引き返すことは…出来ないッ!』互いの顔を見合わせ決意を固めた僕らは、列の最後尾に並んだ。1時間ほど並んだろうか。店のガラスに張り出されている牛タン定食の写真を見ては何度もゴクリと生唾を飲んだ僕らは、ついに店内へと通された。

テーブルに着き、無言でメニューを開く。並んだことも相まって、みんな我慢できず鼻息を荒くしている。どうぶつ奇想天外のドキュメンタリーパートでシマウマを見つけた雌ライオンもこんな顔をしていた。「俺決まった」「俺も決まってるよ」「よし」「はい」すぐさま呼び出しボタンを押し、注文を告げる。

「牛タン定食ひとつ」僕は言った。"上タン定食"にも惹かれたが、上タン定食は一食2000円以上もする。悔しいがここは看板メニューの牛タン定食を頼むのが吉だ。ラーメン屋でもカレー屋でもなんでも、初めて行った店ではオーソドックスなメニューが正義なのだ。「同じので」でらしが声をかぶせる。

「上タン定食、肉盛りでひとつ」何!?上タンの、さらに肉盛りだと!?怖いもの知らずか!?その声の主を探すと、隣に座っている吉野だった。吉野は昔から食事に対する探究心やこだわりが強く、そもそも『牛タンを食べよう』と言い出したのも吉野だった。なるほど、吉野なら無理はない。しかし昼ごはんに3000円弱も出すとなるとさすがにビビっているのか、その声は震えているように聞こえた。

「あ、坦々麺ひとつ」

ん?聞き間違いか?タンタンメン?坦々麺と言ったのか?「はい、坦々麺ひとつ」店員さんが反復する。いやいや待て待て繰り返すな。落ち着こう。俺たちは仙台にいて、牛タンを食べようという思惑から善治郎に来た。一時間も待った上で、坦々麺という解があり得るのか?店員さんが去った後、全員でキジマを問い正す。

「好きやねん、坦々麺」いや好きだとしてもお前…「刻み牛タン入ってるし」刻み牛タン…?俺の右隣には3000円出して刻まれていない牛タンを頼んでいるヤツもいるのに…?わからない…こいつのことがどんどんわからなくなっていく…。

キジマは美味そうに坦々麺を食べていた。750円の坦々麺で、キジマは大満足している。吉野は吉野で3000円の牛タンを食べて微笑み、「うわ〜、牛とディープキスしてるみたい」と最低の感想を述べていた。二度と食レポするな。幸せはお金で買えないんだな〜と教訓じみたものを得られた昼食だった。


このようにキジマは食に関するこだわりがない。これが好き!という強い嗜好もなければ、朝・昼・晩、という概念もない。ちょうど先週仙台に前ノリした時、「永田さんとメシ行くけど、一緒にメシいく?」と聞くと「いや、適当に歩いて目に留まった店で、好きなだけ食べたい」という謎の理由で断られ、ホテルに戻るとコンビニ食をしているキジマを見た。

必要な時に必要な分の食事を摂取する。彼にとって食事は楽しみではなく、栄養補給なのだ。変わったやつだな〜と思うけれどそんなの自由だと言われれば自由だし、絶対にブレないキジマは面白いし、そういうところもなんだかんだ好きだ。最近は寿司が好きということが判明してかなり盛り上がったのだが、長くなってしまったのでこれはまた別の機会に。

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