2月末に初めてコロナウイルスの影響で自分たちのライブが一旦中止になった瞬間から約1ヶ月間、ずっと辛かったし、今も辛い。それは「ライブがしたいのに出来ないから」という理由だけではない。

ライブが出来ないと聞いて最初に頭に浮かんだのは、いつも支えてくれるお客さんの事。そして同時に、ライブハウスやその周囲で働いている人達の顔だった。僕らは10年間、沢山の夜をライブハウスと共に過ごしてきた。イベントを中止すれば当然その日の売り上げがゼロになる事も、仕事がなくなる人が大勢現れる事も知っている。それが1日でも十分大変なのに、最初は2週間の自粛要請のアナウンス、加えて10日間、変わらず今も、多くの場所で自粛が続いている状態だ。

さらに悪いことに、ウイルスよりも先に人々に伝染したのは恐怖だった。3月上旬から、テレビを点けてもインターネットを開いても、「どうしてそこまでひどいことが言えるの?」と言いたくなるような言葉が、ライブハウスに対して浴びせられていた。危うく疑心暗鬼になってしまいそうだった。

ミュージシャンである自分達に、何か出来る事は無いだろうか?と考えた。毎日考えたけれど、自分には曲を作ることくらいしか出来ない。ならばせめて、ライブハウスの曲を作ろう。世間への反抗ではなく、怒りの矛先を他の誰かにぶつけるのではなく、あくまで「僕達はライブハウスが好きだ」という個人的なラブソングを。

ワンコーラスのデモを作り、事務所とレーベルの皆に聴いてもらった。通常、MVを作る場合はその曲の販売形態、販売時期などを決めないといけないので6ヶ月程度かかる所を、「できれば1ヶ月以内にMV公開したいです」と無茶苦茶な要求を提示する。「わかった、スタジオを押さえる」と即答してくれたトイズファクトリー、「どうせ作るなら良い作品にしよう」と言ってくれた次ロッ研、「こういう時こそ娯楽を、と思うので、頼んでくれてありがとうございます」と言ってくれたハクシのトウイチロウには、感謝してもし足りない。音楽に関わる人達を応援したいという気持ちは、みんな一緒だったのだと思う。

ビデオはライブハウスで撮影したかった。イベンター会社GREENSを介し、最終的に10箇所のライブハウスに撮影許可を貰った。昔から馴染みのライブハウスもあったし、遊びに行ったことしかない2000人キャパのライブハウスもあった。撮影の合間には現地のスタッフさんに近況を聞いた。「学生の子たちの卒業イベントライブが無くなってしまったのが本当に悲しい。」「ライブが延期になったから色んな人と飲みに行ったりしたけど、やっぱりライブが見られないと全く元気出ないわ。」「ビデオ撮影といえど、デカい音を出してくれるだけで嬉しいよ。」その一言一言を聞くたびに言葉に詰まったが、みんな口を揃えて「ここさえ乗り越えれば未来は明るい」と言っていて、心底カッコいいなと思った。全箇所で、次はライブしに来ることを約束した。


おととい発表しましたが、メジャーデビュー後初のワンマンツアーとなるはずだった、"この先の人生に必要がないツアー"の開催を、全公演中止し、秋に同じ都市を回るツアーをすることにしました。無論、メンバーもスタッフもライブをしたくてたまらないし、今すぐみんなに会いたい気持ちです。3月はずっと練習を欠かさず、事態が収束したらいつからでもスタート出来る万全の準備をしていました。それでもやはり、今はツアーを開催することが正解に思えませんでした。来てくれるみんなが100%ライブを楽しむことだけに集中出来る時期にやりたいと思っています。

この状況がいつまで続くのかわからないけれど、誰に何を言われたって胸を張って言える。ライブハウスは最高の遊び場だ。僕はこの場所を守りたい。いつか僕らは密閉された空間で大声で歌い、孤独なまま見えない手を繋いで、世の中の理に縛られる事なく踊る。それは"濃厚接触"や"不要不急"なんていうクソダサい4文字でライブハウスを語る人には、一生かかっても理解できない奇跡の瞬間だ。僕らだけの秘密にしよう。

今日公開したミュージックビデオは、いつかまた必ず来るその日までの約束。この3月に感じたことを、映像にして残しておくことにした。孤独な君たちよ、いつになるかわからないけれど、必ずまたライブハウスで会おうぜ。


そしてすべての音楽、ならびにエンターテインメントに携わっている方々へ。皆さんが今直面している痛みは、とうてい僕には計り知れない、とてつもなく辛いものだと思います。だけど、どうか生き抜いて欲しい。僕達も、自分達にいま出来る事、自分達だからこそ出来る事を全力で探して頑張ります。決してひとつになる必要は無く、各々が信じた方法で生き抜きましょう。

僕らの生活に必要不可欠な娯楽と芸術が、これからもずっと鳴り止みませんように。

中学の同級生に伊藤という男がいる。僕が休み時間の教室でELLEGARDENを聴いているのを見て話しかけてくれたのが、彼との初対面だった。音楽の話をできる友達がクラスに居なかったので、すごく嬉しかった記憶がある。

伊藤は当時、周りのクラスメイトより少し大人びた所があるように僕には思えた。映画や音楽の知識が豊富だったし、彼が作ってくれたミックステープがキッカケで僕はTHE GET UP KIDS、WEEZER、eastern youthなんかを聴き始めたのだった。

そしてハンブレッダーズを結成するより1年早く、伊藤は既にバンドを組んでいた。THE FULL TEENZというバンド名は、とある映画に出演していた夏帆のセリフ「TEENをFULLに楽しめ!」から付けたらしかった。その辺のセンスも大人っぽくてなんだか良いなーなんて思っていた。高校2年の文化祭に出演した時、フルティーンズがすごくカッコよくて、悔しさで涙してしまったのを憶えてる。

コピーバンドとして始まったハンブレッダーズがオリジナル曲を初めて作ったのも、伊藤から「そのうちフルティーンズで、オリジナル曲作ろうと思ってんねん」と聞いたからだった。"誰かの為に"なんて大それたことを思ったわけでは無く、ただ単純に負けたくなかったのだ。


初ライブの文化祭が2009年の10月31日。今月末で、あれからちょうど10年が経過する。高校の友達のバンドはみんな居なくなったけれど、お互いメンバーも音楽性も当時とまるっきり変わってしまったけれど、 THE FULL TEENZとハンブレッダーズはしぶとく息をしている。伊藤と会う度に「お互いまだバンドやってるの、ヤバくない?」と冗談交じりに笑ってしまうけれど、僕は内心THE FULL TEENZが今も存在していることにかなり励まされているし、勇気付けられている。


今日は京都のボロフェスタというイベントに出演した。来てくれた人はわかると思うのだけれど、見てくれはハリボテっぽく、スタッフがみんなイキイキと働いていたり、まるで文化祭みたいな最高なフェスだ。今年は違う日程だったけど、THE FULL TEENZもボロフェスタに出演していた。

まるまる10年が過ぎた今でもまだ、お互いのバンドが文化祭に出演し続けているという事実が、なんだかおかしくて、愛しく思えた一日だった。20年後も、こんな風に続けていられたらいいな。
この曲、本当にいいんだよなー。

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