月別アーカイブ / 2021年05月

もし藝高に行くことになったら、当時はクラシック音楽家以外の選択肢はありえなかったし、後戻りも出来ません。

でもバンドもやりたい。

悩みに悩んで悩んだ結果、

①毎コンに出て1位を獲ったらバンドをやめてクラシックの道に進む
②1位以外だったらクラシックをやめてバンド方面で生きていく

この二択にしました。

親にも先生にも言いませんでしたが、自分の中で大決定した最終結論です。

これ以外の道は、もはや考えもしませんでした。

つづく

一方この時期、僕は友達から誘われて人生初のバンドをやっていました。

これが楽しくてしょうがなかった。

ロックでもパンクでも適当に弾いてみちゃえ的なノリで良かったのと、スタジオに置いてあったDX7やオルガンで音色を作るのも毎回楽しみでした。

それとは別に、家には簡単な打ち込みも出来るエレクトーンもあったので、独学でリズムやシーケンス、FM音源のアルゴリズムなども覚えて、ちょっとした作曲も始めていました。

流行歌や洋楽もリスナーとしてではなく、音像の研究対象として聴くようになっていました。

ぼんやりながらも沸々と、未来像を描き始めた頃です。

つづく

14歳(中学2年生)になり、再び転機が訪れます。

家や学校ではヤサグレ坊主でも、ピアノのレッスンは相変わらず福岡まで通っていました。

H先生からの提案で、そろそろ大きなコンクールに出てみないかと言われます。

小学生の頃に参加していたのは、熊本のコンクール。

提案されたのは、当時では最難関の全国区のコンクール(通称毎コン)。

もちろん結果が出せるとは先生も思ってはいなかったようですが、進学の問題も出始めた時期なので、経験として出た方が良いんじゃないかと。

進学というのは藝高(東京藝大附属高校)を受験するのかどうか、です。

つづく

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